(28日のつづき)昼食を食べしばらくすると、ボランティアセンタースタッフから要請があった。被災者から要望があった作業内容、用意するもの、人数、時間、場所等が書かれたニーズ表をもとに説明を受ける。そして、国道117号を車で30分ほど山手に入ったところにあるひとり暮らしのAさんのお宅に向かった。
Aさんは、東京にいるの息子さんところに避難しており、5日ほど前に帰ってきたとのこと。道路やガスも1週間ほど前に通ったばかりという。作業は散乱した食器や家具などを外に出すことと、あらかじめダンボールに入れて出されてあったものを取り出し、種分けする作業を行った。3時30分頃には終わり、非常に感謝されて引き揚げた。
小学校に入った田林先生は5時30分頃になるとメールがあった。5時も過ぎるとあたりは真っ暗、ボランティア専用のテントスペースに行くと何と一対も張っていない。1週間程前は多くのテントがあったとのこと。やはり寒さで無理なのであろう。一応テントと寒さ対策のための毛布などを持ってきてはいたが、ボラセンのスタッフの「必ず早朝は雨が降る」との言や暗くなったこと、早朝は気温が5度以下が予想されることなどでテントはあきらめ、ネットであらかじめ調べていた湯沢にある一泊2000円の健康ランドで宿泊するとことにした。(つづく)
今日から東京センター関係の一泊出張のため、もうすぐ出ます。昨日の続きを朝書いていこう思いましたが時間がなくすみません。昨日は忘れており、今日の分を書いておけばと反省しております。
一昨日の「新しい家族の形」と題した芹沢俊介氏の文化講座も素晴らしい内容で紹介したいし、昨日の恐らく最後になるであろう「第9回三宅島島民ふれあい集会」の様子もふれたいし、また、私が主査の「こんこう平和セミナー」報告も途中ですし、誠に申しわけございません。
ぼちぼち書いていきますので今後ともどうぞよろしく。
25日朝7時30分、車にテント、寒さ対策のための毛布などを乗せ、新潟に向かった。関越練馬に約1時間弱、小千谷市までそこから2時間半で10時30分頃到着した。一番最初にこの地域で地震があったことを知らせてくれるのは高速道路。小千谷の1つ手前の越後川口を過ぎてしばらくすると、道路が大きくうねり、気持ち悪くなるほどである。これで開通して大丈夫なのか。案の定これは帰りのことだが、その場所で大きな交通事故があり、へしゃげた車を横目に見ながら帰った。スピードを出すと危ない。
小千谷市内に入ると建物は意外と被害を受けてないように見える。車も多く、すでに普通の日常生活に戻っているかのよう。しかし昨日も書いたが、近づいてみると相当の被害を被っているのが分かる。小千谷インターから5分ほどのところに大きな体育館が見え、となりに福祉センターがある。その駐車場に張られたテントの中にある小千谷市災害ボランティアセンターに入った。
早速、受付で登録をし、名札をもらう。田林先生はすぐに仕事があるということで小学校の方へ向かった。私と荻野氏はしばらく待ってほしいとのこと。しかし、12時になってもないようなので先に持参したお弁当を食べ、また炊き出しのビーフシチューを頂いた。何もしてないうちからお世話になり、恐縮していた。後で分かったが、この日はついさっきまで雨が降っていたことと、受付をしたのが午前11時をまわっていたのが原因のようだ。ただ、受付は毎日9時から15時までやっている。(つづく)
(昨日は午後10時にセンター着、その後中央線が遅れ、小金井着が12時近くなったので26日の当欄もお休みしました。また今日はこれから東京センター主催の芹沢俊介氏文化講座があるのでいつもと違い、午前中の書き込みになりました)
25日、26日と東京センターの田林先生、荻野先生ら3人で新潟県小千谷市のボランティア活動に参加してきた。これは首都圏フォーラムを中心に東京都連、東京センター等が協力し、信奉者のボランティア希望者に支援していくため、ボランティア活動内容、ボランティア専用宿泊地の有無や一般施設、テント生活の可否等の調査のため、実際に小千谷市ボランティアセンターが斡旋する活動に参加してきた。
私と荻野先生は、1日目はひとり暮らしのおばあさん宅、2日目は療養中のご主人を抱えるご夫人宅に行かせて頂き、使い物にならなくなった食器や家具等を外に運び出し、ゴミに出せるよう分別の作業を行った。田林先生は1日目は託児や小学校での子どもへのケアー、2日目は家の片づけ等の手伝いをした。26日は、フォーラム事務局長の湯川先生も合流し、長岡教会へ訪問、被災状況を聞くと共に山古志村や長岡市におけるボランティア状況の調査を行った。
雪対策で家が頑丈にできているためか、倒壊した家屋は少ない。一見すると日常の生活に戻り、落ち着きを取り戻しているかに見える。しかし、家に近づいてみると、天井は傾き、窓は破れ、家の中は壁はズレ落ち、家具が散乱。ようやく余震もおさまりつつあり、やっと家に帰ることができた方々の片づけが始まったばかりである。
たった2日間で申し訳なかったが、天地の脅威に対する人間の無力さとそれに負けず生きていこうとする人間の強さ、またボランティアにきている人々の人間模様をみた貴重な体験をさせて頂いた。特に2日目に入ったお宅のご夫人は、10時頃入って3時過ぎまで作業中も休憩中もずっとしゃべりっぱなし。まだまだ地震のショックが続き、私たちに話すことでようやく精神の安定を保てているかのようであった。ボランティアの必要性は実際の作業はもとより、こうした人間と人間のふれあい、コミュニケーションも非常に大切な内容であることを痛感した。
今後、新潟は雪に向かう。これから仮設住宅への引っ越しも始まる。まだまだ人では足りないが、小千谷市だけでひと頃土日で1000人、平日で500人ほどいたボランティアも現在だんだん減ってきているようだ。時間の都合のつく方はぜひとも現地に入って頂きたい。首都圏フォーラムでも正式に募集が始まると思う。行ける方は私か東京センターにご連絡頂ければ幸いである。詳しい内容は、今後また連載したい。
今朝、夜行バスで帰京した。このたびは大祭の前々日、飼い犬の「りり」がいなくなった。庭に放し飼いにしているので首輪も鎖もしていない。準備で信者さんらが出入りするので、そのすきに外に出てしまったようだ。その日の午後にいなくなり、大祭前日の朝も帰ってこなかった。
里彩は心配で心配でなかなか寝ることができない。結局朝にも帰ってこなかったので元気がない。午前中の調撰の御用の時は比較的元気だったが、終わってからいなくなったかと思ったら、犬小屋の前で泣いていた。
一応警察に届けてあるし、犬は帰巣本能があるから必ず戻ってると言い聞かせた。ただ、「りり」の前に飼っていた「アトム」は、私の父が散歩中、手を振り切って車に突進、亡くなっている。一番心配なのは交通事故。捜しに行ってもまさかそう簡単には見つからないと思いながらも、昼を食べて少し見て回ってくることにした。
正月に帰ったときにいつも散歩に連れて行く道をいくと、10分ほど歩いたところでふと右側の延びる道路の方を見ると、車がおかしな感じで急ブレーキをかけている。もしかしてと思ったら、「りり」のしっぽがかすかに見えた気がした。あわてて里彩と自転車で追いかけるとやっぱり「りり」であった。
それからが大変な捕物帖。私たちに気がついてくれたが、てくてくとどんどん先に歩いていく。車なんかお構いなし。何台もとめてしまう。こちらも危ないのでなかなか捕まえることができない。ようやく先回りして捕まえたが、もう少し自由に遊び回りたかったのかもしれない。しかし、里彩の方は涙を流しながら喜んでいる。何事もなく本当に無事で何よりであった。そしてよく御用を手伝ったくれた。ありがたい経験であった。
(明日25日、早朝から新潟県小千谷市にテント泊1泊の予定で、今後の長期にわたるボランティア体制を組むために、まずは、センター職員で一般のボランティアに参加しつつ、宿泊や仕事内容など様々なボランティアにかかわることについて調査してくることになりました。そのようなことで明日の「思うがままに」はお休みします)
ノーム・チョムスキー氏は、イラク戦争の本質は、圧倒的軍事力を背景にして世界を支配しようとする米国の国家安全保障戦略のもと、石油利権をコントロールできる支配価値のある無防備な国を攻撃した見せしめ行動であり、この方向性は世界滅亡でしかないと指摘する。
かつて読んだチョムスキー氏の本で、相手が行うテロをテロと呼び、自らが行うテロはテロではなくて、正義の戦争となるという。さらに聖書の偽善者についての有名な定義、すなわち「偽善者とは他人に対して自分が適用する基準を、自分自身に対しては適用しない人間のこと」と紹介し、この基準によれば、「対テロ戦争といわれるものに関するあらゆる論評や議論は、例外なく純粋な偽善である」という。
さらに、世界からテロを大幅に減らす方法として、「1つの簡単な方法」があるという。それは対テロ戦争に「参加しないこと」と。日本はまさに逆へ逆へと向かっている。チョムスキー氏の素晴らしい見識に学ぶこと大である。昨日紹介がもれた『覇権か、生存か』-アメリカの世界戦略と人類の未来-集英社新書、『メディア・コントロール』集英社新書など、ぜひぜひお読み頂きたい。(つづく)
(今日までに終わろうと予定していましたが、後まだもう少しつづきそうです。ただ、明日から23日の勝浦教会大祭のため帰省し、すぐに戻って25日、26日と新潟にボランティアに行ってきます。そのようなことで続きは先になりそうです。またまたご迷惑をおかけしますがお許し下さい。
去る11月13日、「イラク戦争下の世界情勢から、戦争と平和について考える」と題する「こんこう平和セミナー」を開催した。大祭シーズン時期で15人と少なかったのが残念だが、内容はよかったと思う。今回は、「ノームチョムスキー・イラク後の世界を語る」と「アラブの人々から見た自衛隊イラク派兵」という2本のビデオを鑑賞の後、戦争と平和について懇談した。
ノーム・チョムスキー氏は、1928年、米国ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれ。ペンシルベニア大学で言語学を専攻。1950年代後半以降、生成変形文法理論の成果を次々と発表し、言語学の世界に革命をもたらした。その影響力は隣接諸科学の分野にも及び、哲学、認知科学、心理学、政治学など、広範な学問領域で顕著な業績を上げた。1988年、認知科学分野への貢献により京都賞(基礎科学分野)受賞。現在でもマサチューセッツ工科大学教授として研究を続ける言語学者だ。
一方、1965年に米国が北ベトナムへの爆撃を開始する以前から、米国の外交政策に対する批判を開始。その作業は現在に至るまで続いており、とりわけ2001年「9月11日」の同時多発テロ事件以降、中東情勢と米軍のアフガニスタン爆撃に関する発言は世界の大きな注目を集め、インターネット上でもその見解が数多く紹介された。
主要な言語学関係著作はもちろん、社会・政治に関する著作も多数あり、近著に、本映画の公式カタログでもある『ノーム・チョムスキー』(リトルモア/2002年)ほか、『アメリカの「人道的」軍事主義—コソボの教訓—』(現代企画室/2002年)、『チョムスキー、世界を語る』(トランスビュー/2002年9月)、『グローバリズムは世界を破壊する』『テロの帝国 アメリカ』(明石書店/2003年)などがある。(つづく)
金光教東京寮前寮監中山亀太郎先生の白寿のお祝いに、卒寮生の有志が下記の通り呼びかけております。私たち旧東京寮寮生にとって、中山先生の存在は大なるものがあります。それぞれに当時の寮生活に多くの思い出と懐かしさがあろうかと思います。
(さらに…)