Home > 10月, 2010

米軍機密文書「イラク戦争犠牲者10万9千人」

 10月23日付『朝日新聞』夕刊によると、イラク戦争を巡る米軍などの機密文書約40万件が、民間情報機関の手によって公表されたそうだ。米国政府は「米兵の命を危機にさらす」と機密の暴露を批判している。

 その文書によって、イラク戦争の死者は約10万9千人、そのうち約6万6千人が民間人だったことが明らかになった。米英両国はこれまで、死者数の公式な統計はないと主張したきた。国家は今も昔も平気でウソをつく。

 米軍の機密文書なので、10万9千人は実数であろう。いや実際はもっと多いと考えられる。ここでいえることは10万9千人の方が確実に亡くなっているということだ。人の命を数字で表現するとどうも無機質な感じになってしまうが、小金井市民がすべていなくなる数と同じなのだ。

 犠牲になられた方の周囲にいる家族、友人、関係者の数はさらに多く、その一人ひとりの苦悩を思うとやりきれない。イラク戦争が勃発した2002年から2003年のマスコミ、特にテレビに出ていた解説者の言を思い出し、改めて強く憤りを感じている。

 当時は小泉首相がいち早く支持を表明したように、その頃のマスコミの主流もイラク戦争支持かあるいは容認であった。その根拠となる論理が、このままフセインをのさばらしておくと多くのイラク市民が危機にさらされ、命を奪われるということであった。放っておくと無責任だと。

 しかし、現実はどうであったか。当時は大量破壊兵器を監視する国連査察団が常駐しており、イラク市民を虐殺することなど絶対にできない状況であった。私は当時、この国連査察団を制度化し、半永久的に続ける方がコストも断然安く、人が命を落とすこともないと主張した。

 当時イラク戦争を支持した人たちは、この10万人以上の犠牲、何の罪もないイラク市民6万6千人の犠牲の前にどう責任をとってくれるのだろう。平和のために軍事力、戦争に訴えることは断じてしてはならない。そのために、日頃からそうならないための不断の努力が必要なのだと思う。

寮祭 「B-1グランプリ」を開催

20101024_3 昨日の寮祭は、「B-1グランプリ」と題して、ご当地の自慢の料理を披露し、競いあった。グループを4つに分け、東京学生寮主事である妻が特別参加した。

それぞれの料理は、関東・九州連合チームが、「焼き鳥」と「もつ鍋」。中部・東北連合チームが、「手羽先たれ焼き」、「フカヒレスープ」、「芋煮」。関西・中国連合が他種類の「ピザ」、「広島風・関西風お好み焼き」。留学生チームが、「チジミ」と「トルコ料理(どう説明したらいいか、見た目はおっぱいでニンニク味の蒸しパンのような感じ)」。

20101024_1
特別参加の栄里チームは、おふくろの味をねらって肉じゃがと切り干し大根。北海道のN先生と赤羽宿舎のK先生は国際センターの職員である関係で、留学生チームの応援についてもらった。

午前中、各チーム買い出し。1時30分に集合して、出し物の順番等を決める縄跳びゲーム。なぜ縄跳びか不明。その後、料理開始。寮前庭中央にビニールシートを敷き、4か所にテーブルを置き、それぞれの料理を振る舞う。

20101024_0

まず3時30分から関東・九州チームと関西・中国チームが披露。4時30分から中
部・東北チーム、留学生チーム、栄里チームがそれぞれ披露した。びっくり仰天とはこのことで、どのチームも手作りながら超美味。まさに甲乙つけがたい仕上がり。本当に美味しく、食べ過ぎておなかが一杯、満足、満足であった。

日が暮れ、場所を玄関ホールに移し、結果発表。特別参加の栄里チームをのぞく4チームの対抗の投票となった。まずは団体戦で一番よかったチームを選ぶ。次に料理別対抗でどの料理が一番よかったかを「おいしさ」、「アイデア」、「見た目」の部門別で選んだ。

20101024_4 1位チームは、留学生チーム。なるほどキムチとチーズの入ったチジミは今まで食べた中で一番かもと思えるほどの絶妙の味であった。トルコ料理も日本人は食べたことのない味であったろう。どう表現したらいいかむずかしい。

料理別は、「おいしさ」部門は「もつ鍋」、「アイデア」部門は「ピザ」、「見た目」部門は、手羽先焼きであった。さすが名古屋。それぞれにお見事であった。各チーム本当に僅差であったが、一応最下位チームには罰ゲームが待っており、写真のあられもないおぞましい姿となった。

20101024_2 今年度の寮生は非常に団結力が強く、先輩、後輩の垣根も低く、それぞれによく協力してがんばってくれ、楽しいひとときとなった。寮長以下役員、寮生の皆さまに深く御礼を申し上げたい。感謝。

中日ドラゴンズ・やりましたぁ!!

 cs反対論者としては、巨人を3たてして一気にと思っていたが、そうそう甘くはなかった。しかし、投手力の差はいかんともしがたい。今シーズン調子の悪かった巨人は4勝する駒はなかった。

 それに比べわが中日、先発はまだ中田に、そして2軍で調子を上げている朝倉、山内、岩田、小笠原、川井とまだまだいる。中継ぎも一応高橋、浅尾の勝ちパターンはあるが、右では河原、平井、清水、鈴木、左で久本、三瀬、小林といる。決して敗戦処理投手とはいえないレベル。

 スポーツ報知の記事で知ったが、中日は先発13人制をしいていたらしい。つまり、1軍と2軍を連動させ、昇格しても同じ曜日に投げさせる。きっちりと登板間隔をあけるためだ。調子が悪くなると2軍から調子のいいのを上げる。これは投手王国のなせる技、他にはまねができない。これでかつての野武士集団、恐竜打線が復活すれば10連覇常勝チームになれるのだが。

 そんな夢はさておき、昨日和田が打たなかったらもしかしたら危なかった。それほど短期決戦は怖い。いくらレベルの高い投手が一杯いたって関係ない。流れを呼び込むかが勝敗を分ける。それには選手のモチベーションが大事で、当たり前のことだが特に監督の采配が大きな要素となる。

 相手ながら原監督の采配はどうだったか。坂本のアクシデントがあったが、2番の亀井はないだろう。矢野も調子がいいのだからもっと早くスタメンにすべきであった。第一戦の東野はどうか。どう考えても内海だろう。具体的に忘れてしまったが、代打の出し方もおかしかった。世界一の監督がこのたびは少しおかしかった。

 まあ、人のところはいいのだが、いよいよ日本シリーズ。パリーグ3位には絶対負けられない。しかし、今年はパリーグの方が実力が上と見ている。ロッテはあまり知らないが、成瀬はそうそう打てなさそう。第一戦は中田か、山井で勝てばもうけと・・・。そういうのを悪采配というのだ。ほぼチェンで間違いないが、成瀬をどう攻略するかにかかっている。

 今日はこれから寮祭。このたびはご当地B級グルメ大会。留学生チーム、おおよそ東日本チーム、中日本チーム、西日本チーム、栄里(東京学生寮主事)チームに分かれて、自慢の料理を競い合う。どういう料理が出てくるか、情報管制がしかれており本番までわからない。楽しみである。

東京ほつま会総会・懇親会に参加

 先日、金光学園同窓会組織である「東京ほつま会」総会と懇親会が金光教銀座教会で開催された。何と今年の参加者数は150人。一昨年110人、昨年90人とここのところそれまでよりは持ち直してきていたようだが、今回の大幅増、ありがたいことであった。

 私の同期のKさんから当日のスタッフが足りないとの応援要請があった。KさんをはじめIさん夫婦等々私の同期には、金光学園のバレーボールチーム上京の時にはいつもお世話になっている。

 銀座教会に3時に集合。私は教会入り口で同窓の皆様に地下に設けた受付の場所を案内する御用をさせていただいた。教会の大玄関を入ると右側にお広前がある。金光学園の卒業生でも未信奉者の方が多く、わざわざお広前まで上がって参拝する人は少ないだろうと思っていた。

 ところが、「参拝させていただいていいでしょうか」とわざわざ聞いて下さる方も多く、玄関で遙拝する方を含めると相当数の方が参拝していた。正直、驚いた。3年前、少しでも金光教に触れてもらおうと意図した幹事の皆様には敬意を表したい。

 それからいつも参加されている菅伸子さんは、このたびは首相夫人としてご参加いただき、首相公邸の様子をおもしろおかしくお話しいただいた。卒寮生で金光学園の卒業生でもある方2人も来ていて、伸子さんに群がる人々の間隙をぬって、一番でツーショットの写真を撮ってもらった。また、今年も金光学園ブラスバンドのOB・OGの方の学園歌等の演奏もあり、あっという間の懇親のひとときであった。 

 名残惜しいので今回は2次会へも参加した。私は高29期卒業生であるが、その期に新任の先生として赴任された古文のM 先生も参加されており、30数年ぶりの再会で当時の様々な失礼な態度を今さらながらお詫び申し上げた。また、金光学園寄宿舎出身で私とはかぶってはないが後輩の方とも少し話ができ楽しかった。2次会もこれまたあっという間に時間が過ぎ、終電近くまで飲んでしまった。

 

寮研修旅行・生神金光大神大祭に参拝 終

20101010 研修旅行、せっかく一泊できているので毎回近郊の観光地に寄っていく。と言っても近くは倉敷か岡山。昨年倉敷に行ったので今年は岡山。写真1は岡山駅前にある桃太郎像。これはいつ頃できたのだろう。私が金光学園時代何度も岡山に遊びに来ていたが、記憶にない。

岡山城で城祭りをしているとの情報を得、観光案内で岡山城の行き方を聞く。確かバスと思ったが、路面電車を案内された。荷物をコインロッカーに預け、路面電車に乗る。停留所の「城下」までは100円。あっという間に着く。

「城下」から10分ほど歩くと白いテントが立ち並び、どうもB級グルメ大会が開かれているらしい。まだ11時前なので後で寄ることとし、まずは天守閣へ(写真2岡山城天守閣前)。城前では勇壮な日本太鼓の音が鳴り響いている。

20101010_1 城を見学後、おなかが空きテント広場へ。最近有名になった「蒜山焼きそば」や「津山ホルモンうどん」は長蛇の列。私は空いている「牛すじカレー」を購入、まあ普通であった。寮生らは牡蠣の炭火焼き、「めっちゃ美味しい」とはしゃいでいる。さすがに瀬戸内の牡蠣は違うみたい。

なぜか高知から出店が出ており、ミス高知の方と写真を撮ったりおしゃべりしたりして、大好きな坂本龍馬の扇子を買った。その後一番奥側までみんなで歩いていくと、ジュージューと豪快な豚の串焼きを焼いている音と煙が見えてきた。

山田牧場との旗が立っている出店のおじさんが面白い。「これを食べたら他の肉は食べられなくなるよ。肉は素材で決まる。塩を振るだけ。なにも付けなくても大丈夫。塩の量はいい加減。小学生でも焼けるよ」と塩を振りながら勧めてくる。

寮生たちはあっという間にその気にさせられて、われ先にと注文した。私も息子と半分個して食べたら本当に美味。寮生たちが「美味しい、美味しい」と大声で連呼したものだからみんなが並ぶ、並ぶ。結構売り上げに貢献した。

おなかも満たされ、それでは帰ろうと帰路についた。帰りも参拝券自由席の「ひかり」号にしか乗れない。ただ岡山始発が1時間おきに出ているので、「のぞみ」よりは遅いが確実に座れるのでありがたい。帰りもイスを向けあって座り、行きも帰りもほとんどみんな寝ることなく話し続け、楽しい旅行となった。

今回も、ケガ、過ちなく無事に帰寮し、充実した寮研修旅行、ご本部生神金光大神大祭参拝であった。万事にご都合、お繰り合わせをいただき、感謝。感謝。感謝である。

寮研修旅行・生神金光大神大祭に参拝 3

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

講話後、私は12月の寮講演会講師との打ち合わせで図書館に、寮生たちは北ウィングの一室を借りて予定している懇親会の買い出しに向かった。講演会講師との打ち合わせ後、神田金光財団事務局長の車で、オードブルとおにぎりを買いに出た。

途中息子から電話が入り、早くも準備ができたとのこと。6時から開始予定が昨年と同様の準備から手際がよくなり、5時30分から始めた。6時過ぎには和泉金光財団代表理事、阪井寮運営委員長も顔を出された。

その日は明日から始まる海外布教者会議のため、海外の先生方が光風館に泊まられる。そのお世話係で来ている赤羽宿舎や小金井職員寮に住む国際センターの職員の先生方も合流。光風館のフロントにアメリカ・サクラメント教会の大矢先生、ブラジル・サンパウロ教会の岩井先生が通ったらぜひ来るようにとお願いしていた。追っつけ両先生もお見えになった。

岩井先生の奥様は南米パラグアイ布教の功績者である前原先生のお嬢様とご結婚。その岩井サチさんは国際センターでの研修時に小金井寮におられた。その関係で岩井先生とも親しくお付き合いさせていただいている。大矢先生は、私がご本部独身寮時代に同じ寮に住んでいた。夜な夜な熱い信仰談義を繰り広げ、あの頃を思い出すと本当に懐かしい。

両先生と本当はじっくりお話ししたいのだが、その会話の中で「今の大人は若者世代に、親は子どもに遠慮して、立ち入った話を避けている。若者同士も本当は一人ひとりまじめな話をしたいのではあるが、場の空気を読みすぎて軽い話しかしない」といったような話になった。

そこで特に大矢先生は、今の若者たちが何を考えているか知りたいとのことで、私が独り占めせず、途中寮生たちのど真ん中に席を移ってもらった(写真中央が大矢先生)。さすが先生、たちまち寮生たちに質問攻めを食らわし、見事にわが手中にはまらせ話を聞かせていた。寮生たちも真剣に受け答えしていた。

その真剣な話しぶりと何ともいえないさわやかな笑顔で、大評判であった。これも一期一会、寮生たちの貴重な時間となり、充実した懇親会、研修となった。感謝、感謝である。(つづく)

寮研修旅行・生神金光大神大祭に参拝 2

20101010_2  このたびは自由席参拝券を使用、「のぞみ」はだめで「ひかり」にしか乗れない。8時3分発だが、7時40分頃早めにホームに入った。三連休の中日だが結構空いている。万事スムーズに金光に着かせていただいた。

宿泊場所となる光風館に荷物を置き、すぐに祭場に向かった。祭場に入るとやはり考えが甘かった。1階も2階もすでに満杯。廊下に人が溢れている。境内放送で「会堂、修徳殿でも参拝できます」と放送があったので会堂に向かった。会堂もすでにほとんど一杯。10日はお日柄と連休で一番多いと聞いていたとおりであった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

その後、寮長が代表としてお結界にお届け申し上げ、研修場所である金光新聞編集室の会議室に向かった。このたびは、金光財団関係の職員であり、ここのところ東京学生寮に何度もご出向いただいている金光浩行先生に講師をお願いした。

講師は、生まれ育ったご霊地金光が好きになれず、専門学校に通うために上京、卒業後アパレル関係の販売の仕事に就き、その後金光教教師となったいきさつについて、概要次のようなお話をいただいた。

「金光という土地柄は嫌であったが、ご神米を部屋中見えるところに貼って仕事上のお願いをして、信心らしきことはしていた。そのおかげもあってか、仕事は順調でいろんな賞を取ったり、給与も今の10倍はもらっていた。そして同じ業種の女性と知り合い結婚した。

しかし、あるブランド店の店長をしていた妻がいろんなストレスから、「このまま続けると壊れてしまう」と仕事を辞めた。ちょうどその頃、父が病気で入院するということになり、実家に帰ったりする中で、妻が金光に住みたいと言い出した。私は普通は逆だと思っていたが、結論的には実家に帰り、金光教教師を志して今日に至っている。

教師となっても、まだまだ信心になっていないが、皆さんに伝えたいことは、人生自分が思い描いているようには必ずしもいかないということ。人生自分が思っている以上に、予想のつかないことが起きてくるということをまずは知ってもらいたい。そして、そうとなってもあわてず、たじろがないこと。私は苦しいときの神頼み程度の信心であったが、それでもこの道の信心を放さず進めていけば、必ずや幸せな道が開けると思う」。(つづく)

寮研修旅行・生神金光大神大祭に参拝 1

 東京学生寮研修旅行として、10月10日のご本部生神金光大神大祭に参拝させて頂いた。前日東京でも激しい雨が降っていた。10日は大丈夫かなとネットの天気予報をチェックしているときに電話がなった。上北沢教会の水津先生からだった。

 先生は、10日に執行される親教会である南紀教会の大祭教話講師として車で向かっていた。南紀教会は私が在籍する勝浦教会の隣町新宮にある。なんとまだだいぶ手前である三重県の尾鷲で42号線が通行止めとなり、電車もストップして先に行けないとのこと。

 水津先生はいったん北上して「奈良、大阪、和歌山と大回りするしかないが行けそうか」と聞いてきた。それは無理と答えた。恐らく和歌山側も降っているだろうし、距離がありすぎる。もしかして地元の先生なら迂回道を知っているかもと思い、同じ連合会の十津川教会、北山教会、それから三重県熊野市にある南牟婁教会の電話番号を教えた。

 すぐにネットを調べたが、何とも田舎の道路、全く情報がない。電車を調べると和歌山側も箕島~御坊間、那智勝浦~新宮間が運転取りやめとなっている。これでは迂回してもとてもとてもどこかで足止めをくらう。結局何とか尾鷲のホテルがとれたとのことで、とりあえず安心した。

 この大雨も、夜7時のニュースでは尾鷲と新宮の映像が流されニュースになったが、その後は全くなし。ただ、静岡や伊豆方面で大雨警報が出ているとのこと。東京もずっと降り続いている。ここのところは、天候のお繰り合わせもしっかりお願いさせてもらっていたが、新幹線が遅れご大祭に間に合わないのではと心配し、あまり寝られなかった。

 朝になってもまだ強い雨が降り続いていた。新幹線の始発時間を待ってネットを祈るように開くと、「正常通り運行しています」の表示。本当によかったと神様に御礼申し上げ、10日、11日と万事支障なく天候のお繰り合わせをいただいた。(つづく)  

Next »