昨日は、東近「Fnetセミナー2005」に出向、中央道昼行バスで先ほど無事帰らせていただいた。実はさい先が悪かった。新幹線で昼頃京都に着き、京都ラーメンを食べたいと思い、京都ピルにあるラーメン横町にいった。ところが京都ラーメンを探しきらず、なんと銀座本店という東京の中華そばさんに入ってしまった。
まあまあおいしかったが、出るとなんと隣が京都ラーメンの店であった。もっと京都と大きく書いてくれと思ったが、そうか京都で京都ラーメンは当たり前かと変に納得しながら教務センターに向かい、八条口から大きな横断歩道を歩いていった。
すると向こうから寮生のI君にそっくりなのがいるではないか。それもかわいい女に子を3人引き連れている。世の中にはうりふたつの人間がいるもんだと思いながら、すれ違ったが、気になって何度もふりかえった。すると向こうもふりかえり、お互いに「えー、何でここにいるの」と驚いた。
女の子と本当に楽しげに歩いているので、てっきり大学のサークルかなんかで京都旅行に来て、ちゃらちゃら遊んでいるなと思ってしまった。センターに着くとなんと一昨日から学生会の大会をしていたとのこと。お道の御用で来ていたのだ。それに気がつかないなんとさもしい心であったと情けなくなってしまった。(つづく)
今日は表題のセミナーに、なんと私が講師で出向させていただく。Fnetとは、金光教東近畿教区(福井県・滋賀県・三重県・京都府)内にある教会にお参りしているか、あるいは在住している壮年(36才~49才)信奉者の皆さんで作るネットワークだそうだ。
このたびは東近畿教務センターの所長から、今回のテーマが「身近な平和活動」ということで、内容については、私が願う平和についてと東京平和集会や非戦運動に携わってのことや、さらには寮で学生たちと接して今の若者たちはどうかについてのお話しをとのことであった。
そこで「私が願う平和」と題して、下記の項目でお話ししたいと考えています。今から出発します。
はじめに 「身近な平和活動」における「身近」の意味
1 私が願う平和とは
○私の平和観 注1 注2
○「沖縄戦没者遺骨収集」の体験
・声なき声を聴いて
・黒アゲハチョウ
・赤十字の鞄
・山川の別れ 注3
○「お詫びの祈り」 注4
2 「若者」が危ない
○夢見る使い捨て労働者(フリーター)
○交換可能なヒト
○憲法改憲と新自由主義
3 お道による平和
○教務における教団認識の誤謬 注5
○お道における慰霊祭と平和祈願祭の意味(東京平和集会として) 注6、7
おわりに 多彩な取り組み
表題の言葉は、毎年の金光大神大祭東京寮寮生参拝のおりに、特に寮OBの先生方にお話しを承っているが、その中で高橋行地郎先生のご講演の時に聞かせて頂いた言葉である。先生の父上にあたる一郎先生についてのお話しの中で聞かせていただいた。大変な病気と取り組まれたなかで生まれてきた言葉だと私も感動させていただき、その語源について深く考えないままに、教話等で結構使わせていただいていた。
その語源について、大崎教会ホームページ掲示板の「小川洋子さんのトーク」というところの竹部晴雄先生の書き込み(後掲・転載)にその出所が書き込まれていた。はじめて読ませていただき、本教平和観の真髄が見事に表現されていると感じ入っている次第である。
大崎教会掲示板より引用
「高橋正雄大人20年祭の記念冊子の表題『あるものみな美しく起る事みなよし』
40ページの小冊子で、昭和60年5月25日発行です。
その中に、正雄先生が昭和31年初春にしたためられた色紙もあります。
昭和30年8月10日に開かれた一族会の記録が内容になっています。
その中に、正雄先生が霊前であげられた祭詞が載っていますが、関わりのある最後の部分を紹介します。
『今後、どのようなことが起きてまいりましょうとも、どのようなものが生まれてまいりましょうとも、またわれわれ自身どのようになりましょうとも、よいほうにも、悪いほうにも、どういうことになりましょうとも、その善悪、美醜、利害、正邪、一切の差別、対立をこえまして、真に助からせて頂くことができ、「あるもの皆美しく、起ること皆よし」との生き方におかげをこうむらせて頂き、しかも、その中において、それそれの立場立場において、おのおのの受持ちを実意に丁寧に受持たせて頂きまして、それそれに助からして頂きますように、ひとえに御願い申し上げます。
かえすがえすも、天地金乃神の働きだけで助かることのできないわれわれが、生神金光大神取次の道によって、助けられていくことのできるその道を開いて下さり、神も助かり、氏子も立ち行くという、真に申しようも、思いようもない、有難いことにならせられておりますことを、かえすがえすも厚く御礼申し上げます』。
大崎教会
首標のタイトルで朝日新聞に珍しく「勝つために何が必要か、みんな分かっている。彼らは、まだまだうまくなる。優勝?普通にやれば大丈夫だよ」との落合監督の言葉を紹介した記事が出ていた。
昨年無印から今年は王者として望む。昨年はまさかの優勝。さすがの落合監督でもそう簡単にはいかないと思っていたが、さにあらずあの戦力でなんと優勝してしまった。今年はそれに2年連続セリーグホームラン王のウッズが加入した。もうすきなしである。
横浜はなぜこんないい選手を手放しのだろう。選手時代で大ファンであった牛島がなんとその横浜の監督になってしまった。牛島にも是非とも頑張ってもらいたい。楽天の田尾も中日出身。今日はまたまた雪が積もった。春が待ち遠しい今日この頃である。
それにしても、スポーツニュースは大リーグとサッカーばかり。何ともちょっとくらいは触れてくれと思っていたら、沖縄は雨ばかりで練習試合が全くできていないとのこと。中日の死角といえば雨だけか。「順風満帆だった落合丸が、気が付けば春の嵐にもまれている(東京中日スポーツ)」そうだ。
東京寮では、1995年に留学生の受け入れを始めてからこれまでに、中国、韓国、マレーシア等から30人弱の方々に入寮していただいている。新東京寮出発の時点で留学生受け入れの願いは出ていたが、まずは外の留学生受け入れ施設訪問や近隣の大学に説明に行くなど準備を経て、新寮4年目に留学生を受け入れた。
当初はオウム事件の影響もあり、宗教教団の寮ということで警戒されたこともあった。しかし、1人、2人と増えていくにつれ、人から人へと伝わり、東京学芸大学など近隣の大学では非常に評判がよく、「金光教東京寮」を知らない人がいないくらいまでになった。ありがたいことである。
最近では早稲田や上智など通学に小1時間かかるところからの入寮もある。月例祭や食事会にも積極的に参加してくれ、お国の料理も作って頂いたりしている。当初は「強烈なにおいを出すのでは」とか、「台所が油だらけになるのでは」とかの声も聞かれたが、1人の例外もなく全く今までに問題はない。勉強も熱心で、人柄もよい。少しでも日本や金光教の良さを感じてもらい、お国に伝えてもらえば望外の幸せである。
私の知人の携帯電話に突然、架空請求における振り込め詐欺なる電話がかかり、振り込まないと会社や自宅まで押し掛けると脅されたそうである。怖くて、非常に気分を害したとのこと。
実は、私も昨年の暮れに「架空請求」なるもののメールが届いた。いつもの調子でメールをパンパン開いていたら、普通のかわいい女の子の大きな写真が画面にあらわれ、思わずワンクリックしてしまったら、すでに入会完了ということであった。
あわてて、この手に詳しい友人に相談すると、無視が一番という。ただ、ワンクリックした負い目があって、行政書士さんの無料相談にメールしたら、今おおはやりのワンクリック請求というやつで、無視して大丈夫という。
しかし、もし何らかの形でアダルトサイトなどを利用した場合、自宅に裁判所へ訴えたという訴状が届けられるという新手の手口が出始め、これがもし本物ならややこしいので相談してほしいとあった。
その点については身に覚えがないので大丈夫だと思ったが、非常に不安な気持ちにさせられた。メールでさえそうなんだから、実際に電話で脅されるといくら身に覚えがなくても、怖いであろう。何とも誇りも何もない、救われがたい人間が多く出てきたものである。まだまだいろんな手口でだましそうとした電話やメールが多いらしい。みなさんも決してだまされないよう、気をつけてください。
昨日は、東京寮運営委員会の後、ご本部からの運営委員長、幹事の見送りついでに東京駅で懇親を深め、ついさっきまで頭がんがん、当欄をすっぽかしてしまい失礼。そんなに飲んでないのだが、運営委員長がすすめてくださった飲み慣れてない高級な「八海山」がきいてしまったらしい。
運営委員は、ご本部に委員2人、幹事2人、在京委員6人で構成、予算、決算の承認、入寮者の選考や月例祭・教話の奉仕に当たって頂いている。本年卒寮生がことのほか多く、13室があく。現在入寮生募集中であるが、今のところ日本人学生、留学生併せて10人が予定されており、まだ3室余裕がある。
もし、お近くに東京の大学や専門学校、各種学校に在学、入学の方がおられたら是非お勧めいただきたい。明るくて、人柄のいい学生や留学生がたくさんおり、みんな楽しい学生生活を送っている。
是非とも、よろしくお願い申し上げます。
昨日の東京新聞に、ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイ環境副大臣の表敬訪問を首相官邸で受け、「もったいない」論で意気投合したとある。
マータイ氏が「もったいない」という日本語に感銘を受けたことに触れると、首相は「もともとは食糧不足の時代に、親が子供に『作った人の身になって大事に食べなさい』との意味」と説明した。
確かに、「もったいない」という言葉の意味が、現在では電気をつけっぱなしにすると電気代がもったいないというように、本来の意味にない「損をするから」もったいないというような意味合いではなく、「作った人の身になって」というようにそこに感謝の意味合いがあることを示唆していることはいい。ただ、この「もったいない」という言葉はさらに深い意味があるのである。
広辞苑
①神仏・貴人などに対して不都合である。不行届きである。
②過分のことで畏れ多い。かたじけない。ありがたい。
③そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい。
現在の難儀は、この①②の意味のある「もったいない」を死語にしたところ、そして③のところでもその価値をお金や数字にのみおいてしまったところにも生じている。