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「宗教者九条の和」主催 第5回憲法講演会

 昨日、港区南青山の梅窓院・祖師堂において、「宗教者九条の和」主催 第5回憲法講演会が開催され、私辻井と国際センターの楠木先生が出席いたしました。

 まず、「憲法・原発 改めて民主主義を考える!」と題して、元国立市長の上原公子氏の講演、続いて特別講演として、福島県富岡町の住民で避難者の古川好子氏の講演がありました。その後、カトリック大阪教区補佐司教松浦悟郎氏と日蓮宗僧侶小野文珖氏と講師2名によるシンポジウムがありました。以下に講演の概要と、シンポジウムにおいて会場から出された質問への回答を記します。

 上原公子氏  原発と戦争は、日常を突然引き裂かれる意味で同じである。しかし、戦争は復興ができるが原発事故は復興不可能という意味で原発の方が酷いといえる。辞職した井戸川克隆町長に先日出会ったら、「福島のことは言うてくれるな」と言われた。福島の現状を知ってもらい、福島の物品を買うなどして少しでも復興のお役に立とうとしている私たちにとって戸惑いを覚える言葉だった。

 福島の現実は非常に複雑である。避難したくても避難できず、とどまっている人々は少しでも安心できる言葉がほしい。除染が進み、福島の野菜が食べてもらえるよう期待する。しかし、「福島の野菜を食べましょう」というかけ声が福島の子どもたちの避難の障害となっていることもまた一方にある。「福島を逃げるのか」という批判やプレッシャーもあり、復興に関して内部で争いが起きる。これが現実である。

 私たちは「福島と共に生きる」という言い方をするが、これは客観表現であり、相対化、対象化している。「福島を生きる、福島に生きる」と一人称の関わりが必要である。それは様々な複雑な問題をも引き受けての対応である。それが真の民主主義ではないか。

 憲法で一番大事なのは「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」との第97条だと思う。 全ての人間が個人として尊厳を尊重されるというその権利をどう実現していくか、その原動力の根源が民主主義である。それはこれまでのようなお任せ民主主義ではなく、参加型のそれぞれが政治や社会に責任を持って行動していく真の民主主義である。もちろん民主主義も先の総選挙のように間違うこともあるが、それをまた正していけるのも民主主義である。

 古川好子氏  福島第1原発と第2原発にはさまれた富岡町に住んでいたが、3月12日朝避難命令が出て今日まで2年間、1万6千人の町民が47都道府県に避難をされている。まさかこんなに長期にわたるとは予想もしていなかった。津波で家屋流出という被害に遭ってなかったので、とりあえず、とりあえずと避難しているうちに家族バラバラの状況に余儀なくされている。

 その間、申請し許可を受け家に帰れたのは、全てこちらも都合がついたとして計7回、時間にしてわずか20時間でしかない。これが帰宅という事実である。「人は忘れることによって生きていける」と言われるが、自宅に帰るたびにあの日に引き戻される。家に帰るとあの3月12日から全く変化していない現実に愕然とする。家の中は雨漏りしてカビだらけ、動物の進入した痕跡、家の前で初めてイノシシを見た時は恐怖を覚えた。雑草は生い茂り、たいした距離でもないところを玄関までたどり着くのに大変苦労する。何も変わらない。何も動かない。全く先も見えない絶望にも似たような気持ちだ。

 ところで避難者は早く除染して帰してほしいと要望していると言われている。国は警戒区域を再編して年間20シーベルト未満の地域に帰還を進めている。しかし、実際私の周りで自宅に帰れると思っている人はいない。子供を持つ親はもちろん85歳の父もあそこには帰れないと言っている。帰りたいとは心情的に誰もが思っている。しかし、現実的にはほとんどの人があきらめているのが現状。

 今月初めに復興庁が住民意向調査の結果を発表した。現時点で戻らないと考えている人が40%、戻りたいと回答した人が15.6%、世代別にみると40歳未満で55 %以上の人が戻らないと回答。戻らない理由の第一は放射線への不安。第二が原子力発電所の安全性への不安。私自身は戻れないと思っている1人だが、戻りたい人を決して否定するものではない。しかし、15%の戻りたいと回答した人は現実的に生活をすると考えているというよりは「いつかは帰りたい」、「もう一度あの家で暮らしたい」という心の叫びを答えたのではと思えてならない。

 いち早く戻ることが復興という現在の流れにも疑問を持つ。そこには戻る、戻らないという選択肢は見当たらないと私には思える。将来的に確実な復興をと考えたとき、今現在戻らないと決めるしかなかった世代、それらの世代をこれからどう援助し、見守っていくのか、それこそが重要だと感じる。

 福島再生、福島復興といわれ、住民が徐々に戻って震災前の状況に近づいているようにいわれがちだが、状況はそう単純なものではない。仕事をし収入を得なければ生活の再建は望めないし、大人以上に子どもたちも大切なコミュニティがあった。それら失ったものを少しでも補おうとした苦渋の決断ともいえる。低くなったといわれる空間放射線量は未だに震災前の10倍。また友人の子どもは甲状腺に異常が出た。子どもたちだけでも県外へという要望もかなえられていない。

 ただ、早くから土地の除染に取り組み、結果を挙げている農家の人々がいる。だから福島のものが全て汚染されていると叫ぶ気持ちはない。ましてや多くの人々が福島で暮らしている。しかし、私の周りの多くが感じている不安はまだまだ根深く残っている。

 事故後基準値が帳尻あわせのように発表された。現在の基準値も信じられない。また何ヶ月か、何年か後に「実はあの時」と知らされる恐怖がある。警戒区域は除染で出た廃棄物の袋詰めが山積みになっている。除染で出た汚染水の貯蔵タンクは林立して毎日増える一方。それを目の当たりにして安心して暮らしていけるものか。この除染も屋外だけで屋内はない。甲状腺検査も思っているほど進んでない。私は現在50歳、私も周りの同級生が今年はインフルエンザになったとかマイクロプラズマが発症したとか聞く。加齢や疲れとも思うが、もしかして被曝して免疫力の低下かもしれないという不安を抱かざるを得ない。また早産も多い。

 今皆さんが思う福島はどう見えるか。復旧、復興に邁進している。避難者を一日でも早く帰還させようと奮闘している。しかし、実際は重い現実と恐怖を感じてそれらの流れに乗れずにいる。私たちは分断され続けている。大きくは強制避難と自主避難という形。そこには賠償金という大きな壁がある。また強制避難者は震災後の居住状況や放射線量によって細かく線引きされ、小さく分けられる。分けられるごとに避難者同士が理解し合えなくなり、小さくなるごとに実際の声が外に届かなくなる。その結果誰かにとって都合がよい声だけが拾い上げられ、その誰かの思う方向に向けられていると思えて仕方がない。

 震災の復興にはスピードが大事だといわれる。確かに津波被害が未だにほっとかれているのは異常だ。しかし原発事故の復旧にスピードは大事か。本当に誰もが納得する安心、安全よりスピードが優先されるべきものか。「福島はもう大丈夫、とにかく早く帰還させる」、その先に原発の再稼働、新設がないと言い切れるか。今福島から聞こえる声は決してウソではない。しかし、それが全てでもない。できればどのようなものがあるか、目をこらし、耳を澄ませて聞いてほしい。先ほど戦争と原発は同じだとあった。私たちが我慢することで国の経済がよくなるといわれているような気がする。まさしく戦争の時は我慢を強いられた。この流れをどのように止めていけばいいかわからないが、せめてその一助にと今日ここでお話した。

 シンポジウム  会場からの質問1 「大変厳しい政治状況の中で、憲法9条を守るために具体的にどう行動すればいいか」

 上原氏「私たちは経済に負け続けている。これまでのように政府や企業にお任せだけのあり方では結局経済の論理に平和も安心、安全も負ける。原発も大企業も同じで、お任せの象徴たる誘致だけではない、地方が自立した経済を立ち上げなければならない。それは非常に難しいことではあるが、真の民主主義への決意と実行で決して夢ではない」

会場からの質問2「福島原発30キロ圏内は国が買い上げ、放射能研究エリアにして汚染廃棄物を全てここに集めて隔離し、廃炉のための技術研究所とすればいい。そして避難者の皆さまには新しい街を作って放射能を心配しないで生活してもらう。除染よりは新しい街を作るという思いが強いがどうか」

 古川氏「私が思っていることが全てではないが、私自身もそう願っている。除染をしてわざわざ汚染されてない地域にも汚染を散らすことはしないでほしいと願っている。できることなら、悲しいことであるがすでに汚染されたあの地域に集めておけば他のところで被曝の心配をしなくてすむと思う。ただ、新しい街は非常に難しい。高齢の方たちは富岡に思い入れが強いが少し若い世代は今いるところで新たに生活を始めようという気持ちにもなっているし、故郷とは離れるが若い世代が独立して新たな場所で家庭を持つように、故郷からは離れたが、故郷はあそこだよといえることが徐々にできていくのではと思っている」

第40回沖縄遺骨収集奉仕に全国から103人参加。

2月16日、17日、今年で第40回目を迎えた沖縄遺骨収集に全国から103名の方が参加いたしました。私ども関係者8人も15日に沖縄入りし、昨日夜中に万事にご都合お繰り合わせを頂き、元気で帰寮しました。

このたびも8人中4人が初参加と初参加者が多く、また何と一昨年に続いて全体では100人以上の参加があり、また私の班では細骨のみの収集でありましたが、5班では1柱のご遺骨が収容され、ありがたいことでありました。

今回も体験記を連載したいと思いますが、今日は東京センターで現代社会問題研究会等が続いてあり、今しばらくお待ちください。沖縄では大変お世話になりました関係各位に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 

北朝鮮核実験を強行

北朝鮮が核実験を強行した。三代目にこれまでとは違うあり方に変化するよう万に一つでもと淡い期待を寄せてはいたが無残に打ち砕かれた。

本気で米国を恐れていることと、強気でないと政権が保てないのだろう。いずれせよ、このままでは完全に孤立し、ますます国民の生活は苦しくなるだろう。

金正恩書記や政府高官は世界の情勢を知ってはいるだろう。知っていながら自分たちに都合の悪い情報は見ないようにして、都合の良い情報だけで組み立てているのだろう。

かつての戦前日本のあり方とそっくりではないか。何とか暴発だけは食い止めなければない。

平和的に行こうと圧力を弱めるとつけあがる。とはいえ経済制裁は国民を飢えさす一方で上層部はさほど影響ない。もちろん軍事攻撃だけは避けなければならず、何とかソフトランディングするよい知恵はないものだろうか。

憲法9条の新たな危機に抗して

金光教非戦・平和ネットのメーリングリストにすでに投稿しましたが、3月3日に九条の会主催の集会があります。私、その日は東京学生寮の月例祭・食事会があり、どうしても参加できず、どなた様かご都合がつけば、ぜひご参加賜れば幸いです。

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「雪が積もりそう」だけで、大混乱。

 一昨日「早朝には東京多摩地区で10センチの積雪」との予報が出た。現在娘が大学のカリキュラムの一環としての実習のため、三鷹市内の保育園に通っている。その関係で寮をいつもより一時間も早く出た。その約30分後に出た私が武蔵小金井駅につく頃に電話がなった。

 「ホームに人が一杯で、2、3本待たないと電車に乗れないよ」と。娘はやっとの思いで乗車し三鷹駅を降りたところという。私が駅に着いた頃は一段落ついたようで、またこの時間3本始発があるうちの一本だけが平常通りでるとのことで、その始発にタイミング良く乗ることができ、座ることもできた。

 で、今日の朝の情報番組を見ていると、川崎駅や品川駅のホームは想像を絶する混み具合。娘によると武蔵小金井駅も一時そんな感じだったそうだ。JRが積雪の予報が出たので早朝から70%電車を間引いて運行。それがラッシュ時に重なりとんでもないことに。

 インタビューを受けているお客さんが怒ってるのは無理もない。ただもし10センチの積雪があった場合はそれこそ運行に支障をきたし、危険があるからこその配慮であり、ただJRを一方的に責め立てるのはいかがなものかとも思った。

 そもそも毎日毎日時間通りに運転がなされていることへのお礼、雪や雨を目の敵にしているが、そもそもその恩恵がなければ生きることさえできないと何人の人が思っているかどうか。金光教人はこうした視点を持って生きていくことが大事だなぁと、このご時世につくづく思う。

 かつて4代金光様は、何をおいても「お礼を土台」と言い抜いておられた。1983年刊行の『読信』25号に「『中央公論』昭和58年9月号 現代宗教者に問う〈『中央公論』連載〉 金光教教主金光鑑太郎」との対談記事が転載されている。人間の大切なところを非常に和やかに,そして見事にお話しなさっている。以下一部抜粋

島田(インタービュー構成 島田一男氏 精神女子大学・社会心理)
 「なるほど、私は宗教というのは、その時代、時代に生きている人間を救っていかなくてはならないと思うのです。現代のような時代、いろいろな新しい問題もあれば新しい悩みも出てきている。その現代人を救うためにどんなことを考えておられますか。」

 金光
 「現代のことは現代のことという考えでなしに、教祖の生き方は変わらんものです。その生き方が現代を生きる基ですわ。ひとつ例を挙げれば恩を知る。これは教祖流のものの考え方ですが、現代も昔も変わりはしません。時代、時代によって表現はいろいろあったりしますけれど、世話になったものにお礼をいう生き方は、そういうものが土台になくちゃいかん。現代、現代といったって現代は土台じゃないんですわ。何事も同じだけれど、お手本は昔からあるんです。それに創意工夫を加えて手直ししていくことはあるでしょう。しかし現代を土台にして、いろんなことを教えるのはどうでしょう。宗教の生き方は変わらん。大切なものは貫かれていく。人間というものは、自分で〈する〉とか何とかいいますが、〈する〉ということが先にあるんではなしに、世話にならなければ何も〈する〉ことはできん。生まれるときからそうですから。世界中の人で、わしを産んでくれといって生まれてきた人はいない(笑)。つまり天地の恵みの中で命の働きがあって、みな親の子として生まれてきとるんです。しかも人間はみな同じだというが、事実としては全部違うとる。世界、どこを探したって同じ人間はおらんわけだ。つまり自然の中で、命の働きがあって親の子として同じように生まれてきても、一人一人の働きはそれぞれ違う。これが神の御心だと私は思う。これをいうといつも笑われるんだが、私はおむつを洗った赤ちゃんがいるかというんです。その代わり、便所へいくのは自分で稽古する。ということは世話になって、稽古をして一人でできるようになる。できるようになると、おむつの世話をしてもらったことは忘れてしまう(笑)。恩を知るというか、世話になったことに対する感謝、この生き方が現代は失われとるところがある。汽車が遅れたの混んだのとはブツブツいうけども、乗せてもろうて運んでもろうたことはいわん(笑)。順序はみなそうなっている。衣食住、全てが世話になってるのが人間ですから。生活のあり方として、教祖の生き方をいただけば、お風呂へでもお礼をいって出入りする。便所もそうだ。ご飯を食べるときもお礼をいったあとで箸を取る。そういう生き方が人間の基盤になるように稽古を重ねていくところに、道がついていくんじゃないかと、こう思っています。」

 「汽車」とか「便所」とか表現に時代を感じるが、仰っていることはまさに現代にこそ必要な心の持ちよう、生き方だと思う。だんだんにおろそかになってる日々を反省しつつ、改めて「お礼が土台」の信心をさせていただきたいと願っている。

那智勝浦で「ひなめぐり」?

 去る2月3日のヤフーのネットニュースで「和歌山で『ひなめぐり』始まる」との記事があった。あれっ? 和歌山で何で「ひなめぐり」とクイックすると何と「那智勝浦」とある。 ひな人形は徳島や千葉の勝浦でしょう。「いよいよ那智勝浦でも」と思ったら以下のような記事であった。

 「和歌山県那智勝浦町で3日、『南紀勝浦ひなめぐり』が始まった。中心市街地の空き店舗など5カ所に計3300体のひな人形が飾られ、観光客らの目を楽しませている。3月30日まで。
 紀伊半島豪雨被害からの復興を目指し、地元商店主ら有志が、自治体名で縁のある千葉県勝浦市や徳島県勝浦町などから人形の提供を受けて昨年からスタート。
 目玉は、3月1日から3日間行われる『ビッグひなめぐり』。落差133メートルと日本一を誇る那智の滝にちなみ、1万3300体のひな人形を一堂に集める。
 実行委員長の加藤康高さんは『今回も各地から人形が寄せられ、復興への絆が一層強まった』と話した」。

 昨年からスタートしたことを全然知らなかったが、誠にありがたいことである。もうだいぶ前になるが、千葉の勝浦に行ったときにある食堂で「実家が和歌山の勝浦で」と言うと大変歓待されたことがある。同じ地名なので昔から親近感はあった。徳島の勝浦へも是非一度は訪れたいと願っている。

 このたびの『ビックひなめぐり』、1万3300体となると壮観であろう。残念ながら帰ることができないが、勝浦にいる息子に写真でも撮ってもらうかと願っている。

自衛隊の軍隊化は、時代の逆行。

 安倍首相が昨日の参院本会議での各党代表質問で、憲法9条について、「シビリアンコントロール(文民統制)の鉄則や憲法の平和主義、戦争放棄を変えるつもりはない」と言いながら、「自衛隊は国内では軍隊と呼ばれていないが、国際法上は軍隊として扱われている。このような矛盾を実態に合わせて解消することが必要だ」と憲法改正への意欲を示した。

 戦争放棄を変えるつもりはないなら、9条を変える必要もないのではないか。国際法上の矛盾だけでは到底理由にはならないのでは。外国がみんな軍隊なのだからうちも軍隊にするという主張は、例えば自分の子どもが「友達がみんなスマホに買い換えてるからうちも換えようよ」という主張と同じではないか。ことはスマホでなく軍隊である。 
 
 自衛隊の軍隊化は時代の逆行だ。世界は二度の大戦を経て、その経験から戦争違法化へと向かってきた。憲法9条の精神は、1945(昭和20)年に突然生まれたのではなく、ましてやアメリカから押しつけられたものでもなく、私が生まれた1959(昭和34・立教100)年よりさらに30年前にさかのぼる1929(昭和4)年のパリ不戦条約第1条にその原型がある。

「 第1條
 締約國ハ國際紛争解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳肅ニ宣言ス」

 ところが、この条約を事実上初めて破ったのが何と日本なのである。1931(昭和6)年の満州事変、その後の上海事変、支那事変と宣戦布告なき武力発動を行った。「宣戦布告をしてないので戦争ではない。よって不戦条約に違反しない」との論理からである。だから「事変」と呼称した。

 がゆえに、第2次大戦後の国連憲章では、戦争という言葉さえ使用せず、さらに厳しく「武力による威嚇又は武力の行使」も慎むべきとなり、その精神が憲法9条へ受け継がれたのである。

 その戦争違法化への道程の中で、厳しい世界情勢によってやむなく自衛隊を置いているのがいまの現状であり、進むべきは軍縮、軍備撤廃による真の平和である。自衛隊の軍隊化は時代の逆行であり、国防軍への憲法改正は必要ない。

第40回沖縄遺骨収集参加へ

 今月も15日から18日の予定で、第40回沖縄遺骨収集奉仕に参加します。今回私たち一向は8名。その内半分の4名が初参加者ということもあり、今年も先月の25日に寮集会室で事前勉強会、説明会を行いました。今年も映画『ひめゆりの塔』を鑑賞し、また、これまでの体験談を聞いていただきました。

 そのこともあり、当ブログでもカテゴリー一覧のところに沖縄遺骨収集の欄を新設しました。2003年の第30回に初めて参加し、その間2回ほど寮の運営委員会と重なったため参加できませんでしたが、その他8回分の体験談と沖縄に関わるテーマについてここに集めました。

 降順に並んでいるので、連載になっているのは開催回数の先頭まで戻って、画面でいうと上へと戻る感じで読むようになります。また、最初の頃の写真の移動やリンクの再設定がまだなので、読みにくいところもありますがお読みいただけれ幸いです。