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東京学生寮11月の月例祭・食事会

 
11月の月例祭は私が祭主で仕えさせて頂き、以下の教話メモの通りお話しした。その後の食事会、このたびは学園祭シーズンなどで人数が少ないところから、クリームシチューとコストコで調達した料理で催した。コストコの食べ物は美味しく安いのでいつも好評。

教話メモ
 人生、「人間のものさし」で測ると共に「神様のものさし」で測る必要がある。人間のものさしは目盛りがあり、長い、短い、大きい、小さいが測れる。そのため、そこに優劣や善悪の価値が生まれ、どうしても比べてしまう。

 神様のものさしは、目盛りがないので測れない。測れないから比べられない。つまり人や世間と比べてちまちま悩まないことが大切。

 過去の過ぎ去ってしまった出来事を、「ああしておけばよかった」、「こうしておけばよかった」とくよくよしたり、来てもいない未来を想定して、「もし今より悪くなったらどうしよう」と不安に思い、心配する。これも、過去と今、今と未来を測っている。

今、やるべきことに最善を尽くす。今を大切にできれば、当たり前のことにありがとうと感謝できてくる。これがお道の信心。

 ただ、人間はどうしても比べてしまう。これは仕方がない。しかし、「比べてよかった、悪かった」とか善悪という価値判断をしない。人生、起きたこと、起きてくることをそのまま受け入れていく。すると本当の物事の価値を知り、すべてが有り難く、大切に思えるようになってくる。

 では、具体的にどうすればいいか。2つ方法を伝授
1 人より自分が一番下だと常に思う。相手と比べて自分の方が偉い、あいつよりできる、あるいは劣っていると悲観しない。自分が上だと思うと、他から何も吸収できない。つまり成長しない。本当は上にいたとしても下にいると思いきることによって色んなものが吸収できて成長できる。
教祖様 「平人なりとも比礼」「凡夫であい分からず」

2 人間は感情の生き物。日々、喜怒哀楽を感じながら生きている。嬉しかったこと、楽しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、腹が立ったこと、怒りに震えたこと、いろいろと思いかえして、その中で一番はどれかと考えてみる。辛かったことや悲しかったことを、どう乗り越えてきたかをじっくり思いかえしてみる。

 ただ、本当に辛くて思い出すのもいやだという経験、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などはこれは病気なのできちんと治療する必要がある。忘れるということは痴呆症などマイナスイメージがあるが、辛いことを忘れることができるからこそ生きていける。

 そのことに気をつけて、できるだけ喜怒哀楽の自分の感情、自分がどう思ったかを振り返ってみて言葉にしてみる。そうするとただ淡々とバイトだけしていたり、仕事に追われたり、のんべんだらりと生きているのではなくて、充実した深みのある人生が送れる。

 さらにより具体的に一番美味しかったもの、一番きれいに思ったこと、ビックリしたこと、恥ずかしかったこと等々を思いかえしてみる。

以下に私の場合の具体例をお話しした。

《一番美味しいと感じたこと》
 小学校の授業中にある女の子にちょっかいをかけて、教室の外のベランダに立たされた。もう喉が渇いて死ぬかと思った時、やっと解放されて飲んだ水の味。

《一番きれいだと思ったこと》
 金光学園中学、高校の寄宿舎は、当時120人前後の舎生がいた。そのお風呂に、年に一回だけ中一から入る。その時のきらきらしたお湯の透明さ。
 この2つの経験により、水の有り難さが身に染み込んでいる。
気仙沼の大島 地震後 米軍 洗面器一杯の水 家族6人が三ヶ月生活。

《一番ビックリしたこと》
金光学園寄宿舎 夜中戸板に布団ごとのせられて、朝起きると外の田んぼに寝かされていたこと。
「朝目が覚めて、何事もなかったという有り難さ」 

《一番辛かったこと》
 子どもの不登校や休職。しかし、その経験からグッドタイミングで寮生の同じような難儀に対して、想像を絶するご都合お繰り合わせを頂き、難儀に対応できたこと。

東京学生寮10月月例祭・食事会

東京学生寮10月の月例祭が辻井寮監祭主のもとに仕えられ、引き続いて寮監から教話(後掲)、その後食事会を開催した。今回は日本人女子学生3人。急に寒くなってきたので超久しぶりに鍋。あと大根のサラダとひじきの煮物が出された。

教話
今回平和についての話をするについて、その前にオスプレイ、横田基地について尋ねてみた。オスプレイを知っている寮生は全員、横田基地については半分強、そのオスプレイが横田基地に配備されたことを知っているの寮生はゼロ。当然小金井上空も飛ぶ可能性があることも全く知らなかった。

現政権が憲法改正を目指し、この国の形を変えようとしているが、学生年代の平和に関する関心度はかなり低いと言わざるを得ない。そこで引き続いて大要次のようにお話しさせて頂いた。

明治元(1868)年9月24日
「天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全の幟染めて立て、日々祈念いたし」

今年はこのご神願が開示されて150年。改めてこのご神願の意義を頂く年であり、また大きく日本の国の形が変更されようとしている今こそ頂き直す必要がある。

このご神願の意味は、天下太平とは、世界の平和、諸国成就祈念は、世界のすべての国々の人々が穏やかに、豊かに生きることができるよう祈念すること。総氏子身上安全は、この「総」、つまり特定の集団や個人の安全だけでなくて、国家、民族、人種、思想信条を越えた、また中国や韓国、北朝鮮の人々も自民党支持の人も共産党支持の人もすべての一人ひとりの身の上安全を願うということである。

この世界平和のご神願開示された150年前は、慶応4年と明治元年である西暦1868年であるがどういう時代であったか。ちょうどNHKで、大河ドラマ「せごどん」が放映されているが、薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 – 明治2年(1868年 – 1869年)が始まった年である。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。

明治元年にご神願が開示されたのは、これからの戦争はとんでもなく悲惨になっていくと予想されたからこそ、世界平和を願う幟が打ち立てられた。戦争の質がこれまでのものと全く変わってきたからである。

その1つの要素が戦争犠牲者の数である。1月3日、鳥羽・伏見の戦いは、旧幕府軍 約1万5千名、新政府軍 約5千名、その後の奥州戦争では、新政府軍は総員約2万名、旧幕府軍1万もいない。だいたい両軍併せて3万人で、犠牲者は約8千人である。徳川幕府が誕生するきっかけとなった「関ヶ原の合戦」は、東西それぞれ8万人で両軍併せて16万人中、犠牲者は戊辰戦争と同じく8千人である。時代、規模、戦闘期間の違いはあるが、兵器の進歩でかなりの犠牲者数が出ている。これからの戦争はとんでもないことになる、だからこその平和宣言であった。

ところが、残念ながら明治16年に教祖没後、 だいたい10年ごとに日本は戦争をしているが、犠牲者数は悲惨な数となっている。明治27年日清戦争(犠牲者数5万人)、明治37年日露戦争(15万人)、大正3年第1次世界大戦(850万人)、昭和6年満州事変から日中戦争、昭和16年に太平洋戦争( 日本人310万人 世界で1億近い)、教祖没後たった50年でとんでもない数の方々が犠牲になられた。

また、とんでもない額のお金を浪費した。日露戦争では莫大なお金をヨーロッパの大富豪から借金したが、いつ返済が完了したか。何と82年後の昭和61年である。この借金が原因でその後の日中戦争、太平洋戦争に突入せざるを得なかったという側面もある。

大勢の人々が無残な、むごい死に方で命を落とす。戦争がいままでのような戦争とは質が違う、だからこその明治元年の平和宣言であった。今日地球を何回も破滅してしまうほどの武器を持ってしまった世界人類は、もし第三次世界大戦が起これば人類破滅である。世界の未来を考えるならば、今どうすればよいか。その方向性を見失わないようにそれぞれ一人ひとり関心を持ってよく考え、神様に尋ねてもらって判断して頂きたい。