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しかし、それは遅すぎた。

 ナチスドイツから弾圧されたドイツの牧師さんが、行動したときにはすでに遅かったという話を本部布教部時代に聞いたことがあり、その原典を探そう探そうと思っていた。偶然にも木田元編『一日一文』(岩波書店2004年)という本を読んでいたら出くわしたので紹介したい。

マルティン・ニーメラー 1892.1.14~1984.3.6 
 「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者でなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した。・・・・しかし、それは遅すぎた。」
(ミルトン・マイヤー『彼らは自由と思っていた』田中浩・金井和子訳、未来社 1983年)

 同じ宗教家の言として、ずしりと響いてくる重い言葉である。

「昭和の日」

 再来年から4月29日の祝日が、「みどりの日」から「昭和の日」に変わった。この日は、在籍の勝浦教会の春の大祭の日でもあり、地元の勝浦でも緑に関する行事がずいぶん増えたと思っていた。この「みどりの日」は5月4日に変更とのこと。

 本日付『東京新聞』「ニュースの追跡」によると、祝日と皇室の関係は深く、2月21日の「建国記念日」は、戦前の「紀元節」、11月3日の「文化の日」は明治天皇の誕生日で戦前は「明治節」。11月23日の「勤労感謝の日」は、「新嘗祭」に由来しているそうだ。

 その意味で、伝統や文化を大切にしようとする方は、もともと昭和天皇の誕生日であった日をみどりの日よりは、「昭和」という言葉を残したかったのであろう。しかし、前述東京新聞の記事にもあるが、「昭和の日」でいったい何を祝うのだろうか。

 日本で300万人、アジアで3000万人にもの人が戦争で殺されたという人類史上最大の犠牲者を出した昭和。その時代を忘れないよう、後世に伝える「平和の日」になればいい。そこで初めて「昭和」という言葉を残した意味が生きてくると私は思う

降竜戦?(プロ野球交流戦)

 悪い予感の的中である。中日中心主義の私としては、パリーグとの交流戦は本当はしてほしくなかった。奇をてらったやり方は、結局は飽きられるのでは。いや、本当のところは絶好調で来ていた波が、交流戦で調子を狂わされるのではないかとの不安があったのである。

 直前のヤクルト戦で、4番のウッズが暴力行為で出場停止という不幸も重なったが、見事に当たってしまった。どうも名古屋の人はよそ様が来ると平常心を失ってしまう(失礼、何の根拠もない)。あの阪神の息の根を止め、上昇ヤクルトを3たてして完勝で来たのが一転悪夢。何とも説明のしようがない。

 それにしてもパリーグは強い。特に西武、ソフトバンク。ところがその上に今年はロッテがいる。その強さは今日の松中の根性のヒットを見て気がついた。つまりは主軸の根性の違いである。こっちはあまりに淡泊。

 しかし、プロ野球は長期のゲーム。気合いだけではなかなか1年は乗り越えられない。わが中日、昨年活躍したドミンゴ、野口がすでに待機中。打者も土谷や森岡などが2軍に控えている。

 選手層が厚すぎて、出られない選手が多いのが残念なくらい。長いペナントレースでは必ずこの人材の豊富さで、最後は優勝しかない。何事も人材が大事。外注ばかりに頼るどこかの球団と違って、中日は育て方が実にうまい。監督、コーチの言に、野球以外のことで学ぶことも多い。

日本国憲法改正国民投票法 3

 また、日本国憲法改正国民投票法案では、改正条項を束ねて一括投票にするのか、条項ごとの投票にするのかという最も重要なことを明らかにしていない。当然条項ごとの発議と投票方法が望ましい。 

 さらに大きな問題がある。それは改正の是非をめぐる運動を「国民投票運動」と呼び、それを禁圧していること。投票の結果を予測してそれを公表してはならないとしている。
 
 メディアに対しても、「新聞紙又は雑誌に対する編集その他経営上の特殊の地位を利用して、国民投票に関する報道及び評論を掲載し、又は掲載させることができない」となっている。

 国民が自由に議論できないような規制をかけているのである。当然この法律には反するものには罰則規定もある。

 このような人権を無視して改正された憲法がどんなものなのか。この法律をざっと見るだけでも容易に想像できる。法律というのはすべて読まなければわかりづらく、私の要約ではさらに理解しづらいと思うので、是非詳しくは以下の「法案要綱」や弁護士会の「意見書」をお読みいただきたい。(おわり) 

日本国憲法改正国民投票法案 要綱
http://www.k3.dion.ne.jp/~keporin/shiryou/kokumintouhyouhouan/05.htm
憲法改正国民投票法案に関する意見書 2005年(平成17年)2月18日 日本弁護士 連合会
http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/sytyou/iken/data/2005_14.pdf”,”no”,,”http://”,,,,”2005″,”5″,”12″,”tsujii7

日本国憲法改正国民投票法 2

 この憲法改正に関する国民投票法について、どの程度進んでいるのか。政権与党は法案骨子なるものをつくっているそうだが、まだ成文化されていないようだ。

 2001年11月憲法調査推進議員連盟が作成した「日本国憲法改正国民投票法案」というのがあるが、これは改憲をめざす議員によってつくられたものであるから何とも問題点だらけの案である。

 1つは、国民投票の期日が国会が発議した日から起算して60日以後90日以内としているが与党の法案骨子では、30日以後90日以内としており、国民から議論の機会を少なくするとの意図が明らか。

 次に、昨日示した憲法96条では、「投票においてその過半数の賛成を必要とする」と規定しているが、議員連盟の法案では、「有効投票数の過半数」としており、投票総数の過半数でも有権者総数の過半数でもない。憲法改正という最大重要課題において、無効票をどう扱うか、恣意的な規定は大いに問題があるのだ(つづく)。

 

日本国憲法改正国民投票法 1

 日本国憲法改正の手続きは、同憲法第9章「改正」第96条に以下のように規定されている。  

 第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 ところが問題は第1項にある国民の過半数をとう選挙についてである。憲法にはこれだけしか書いていないので別途投票の仕方を法制化しなければならない。それが「日本国憲法改正国民投票法」なるものであるが、これが報道も少なく一体全体どうなっているかよく分からない。そこで、この問題ついて明日からまた連載していきたい。

卒業生

 何がうれしいといって、東京寮卒寮生からの頑張っているとの便りくらいうれしいものはない。30歳にして早くも個人の建築事務所を設立し、大学の助手を兼務しながら頑張っているとの便り。このたび師匠の絵本を政策、作画を担当したとその絵本を送ってくれた。

 また、寮在住中、心身の体調を崩し、なかなか学校へ行けなかった子が、その後就職して頑張っているとのはがきをくれた。涙が出るくらいうれしかった。また、今度結婚するので祭主をしてほしいとの電話をもらった。結婚式の祭主は初めて。修行のし直しである。

 しかし、昨今のニュースを見ていると「人心の荒廃」というよりも、「人間の崩壊」が始まったのではないかと本当に心配になるが、「世界・人類に貢献する人材を生み出す」との寮の「願い・精神」を体し、それぞれの持ち場立場でよりよい社会になるようそのいのちを輝かしていただきたい。

憲法「改正」について 終

 もちろん改憲論者たちは、日本人の戦死者や戦争犠牲者が出るのはすでに織り込み済みである。ゆえにこぞって靖国神社に参拝し備えている。が、これを国民に対してストレートにいうと、とても改正は無理となるので、北朝鮮脅威論や国際貢献論、一国平和主義批判を展開しているのである。

 国際協力もまるで軍事力かお金の貢献しかないような言い方しかしない。しかし、難民や亡命者の受け入れなど国内人権問題を棚に上げておいて、他国の人道人権問題に軍隊を送り込むのは説得力がない。
 
 安全保障政策の変更も国際貢献も、軍事力ではなく、平和憲法を展開する形での具体的な方策はあるのだ。日本はあくまでも軍事力によらない平和を訴え、紛争の原因究明や予防、法による武力行使や兵器の規制、医療、教育、社会整備の援助、平和研究や教育、文化の向上等に尽力をつくすべきである。

 思想的な考え方や具体的な政策や方策についても、大沢真幸著『現実の向こう』(春秋社)という本を是非読んで頂きたい。北朝鮮からの難民をいくららでも受け入れる覚悟を決め、「北朝鮮民主化計画」を進めることや、自衛隊を解体もしくは、大幅に縮小し、「海外援助隊」か「平和部隊」に改組する。そしてどんな軍事同盟とも関係なく、世界中の貧困地域や紛争地域で海外援助を継続的に行う。それも第三者経由ではなくて、自らが行って「直接的な贈与」を行う。この方が軍隊ではないがゆえにむしろ安全だと述べている。

 以上、こんにち安易に軍事力を肯定する風潮の中で、本当に憲法の真の平和主義を捨ててもいいのか。当然変える方も「平和のため」にと主張してくる。しかし、変えてしまえば明らかに現状より後退することは明らかである。これからは、ただ憲法を守るというだけでなく、英知を結集して平和憲法を展開する形での様々な方策を生みだし、実践することが一番必要なことではないかと思う。(終わり)

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