政府は、年内に策定する防衛大綱に武器輸出三原則の見直しを盛り込む方向で最終調整に入ったが、国会情勢から今回は何とか見送られた。この見直しは、安全保障のため、防衛のため、兵器の共同開発、技術的に遅れをとるなどなんだかんだと理屈をつけるが、要は人殺しの道具で商売をしようする、まさに死の商人になろうとしているのだ。
平和憲法を支える大原則をないがしろにするのは、国の骨格を崩すことになる。日本から平和の国是をとったら一体何が残るのか。戦争をする普通の国へと転落するか、どこまでも理想へと向かう希有な国家を貫いていくのか。方向性を間違うことは世界にとっても不幸なことだと思う。
もちろん北朝鮮がミサイルを向けているような状況で、直ちに武器を捨てることはむずかしい。しかし、1929年のパリ不戦条約以来、国連憲章から日本国憲法へと世界の戦争違法化の最先端にある理念を捨てるべきではない。現実が困難であるからこそ、規範や原則はどこまでも大切にする必要があると思う。
それでも心配な方にあえていいたい。今以上に構える方が危険なのだ。相手に攻撃の口実を与えてしまう。敵を作らないことが最大の安全保障ではないか。武道でいう「天下無敵」とは、まさにそのことをいっているのだ。
不安の上に成り立っている「暴力の均衡による平和」か、真に安心できる「信頼による共生の平和」か、どちらを選択するか。日本はすべての武器を捨て、人の命を守ることを第一とする平和と文化の国を目指すべきだと思う。そこにこそ日本人としての誇りを持てるのではないか。私は、世界最先端を行く希有な国日本でありたいと願っている。
昨日は、東京学生寮講演会を開催した。本年創立100周年を迎えた寮は、昨年の12月12日にご本部北ウィングで記念誌「笈を負う覚悟」の出版記念パーティを全国から卒寮生90名が集まり開催された。
また、本年4月17日には東京学生寮において、創立100周年開寮記念祭、記念パーティを卒寮生100名が参集し開催された。その記念誌の出版や名簿の整理、その他諸々の中心的役割を担ったのが「寮友会」事務局長の相賀正実先生である。
ところが、先生は大学を卒業以来今日まで小金井寮に来たことがなく、一番の功労者が新しい寮をまだ見ていないということで、それでは講師としてお招きしようと実現した。それから相賀講師の最大の理由は、向こう創立200周年に向けてスタートを切った現寮生たちに、輝かしい寮100年の歴史をしっかりと認識していただくことであった。
本年寮友会から寄贈いただいた62型の薄型テレビに写真を映し出しながら、寮の沿革や時々の寮生たちが書き残したその当時の様子、何度か存立の危機を乗り越えてきた激動の歴史を詳しく語られた。
最後に「寮生間の交流も100年の歴史の中で浮き沈みがあった。せっかく同じお道の仲間が生活を共にするのであるから、普通のアパートではもったいない。それには3年、4年生の道や寮を思う情熱が大切である。先輩がダメなら後輩も続きようがない。
また、現住所として『金光教』と書く機会があると思うが、『金光教って?』聞かれたときにしっかりと応える答えをそれぞれにもっておくことが大切。私は『木の切り株に腰をおろしても、礼を言う心持ちになれる』宗教であると応えていた、と熱っぽく語られた。
相賀先生は、実は現教務総長佐藤光俊先生の弟で、総長も寮の卒寮生。また、相賀先生と私は東京学生寮同期入寮で大学時代共にお育てを頂いた。といっても彼は全国学生会協議委員会委員長で瀕死の学生会を再興し、私は東京学生会会長としてかつがつ付いていったようなことであった。
そのようなことで当時の学生寮の先輩や後輩の卒寮生も多く駆けつけて下さり、30年ぶりの再会の方もあった。その後の懇親会も大いに盛り上がり、さらに小金井駅前でみんなで一杯、もう一瞬にして学生時代に戻った。先輩の毒舌も全く変わっておらず、楽しいひとときもあっという間であった。
寮生たちは、そのまま集会室で朝3時頃まで盛り上がったそうで、寮200周年に向かって新しい一歩を踏み出せた講演会となった。感謝。感謝。感謝。
朝食もこれまたこれでもかというくらいに多彩。普通出てくる朝食の種類が全部出そろった感じだ。何とか完食。美味しかった。朝食後、所用のある直帰組とお別れ。残った4名は八ッ場ダム視察へと向かった。
四万温泉からは1時間ほどで到着。まず驚いたのは長く大きなコンクリートの橋が谷の下を横に走っていたこと。しかしそれは途中で切れている。横幅がそれほどでもなく、道路にしては狭い。謎の構造物だ。
さらに奥に進むと新しい道路が山のはるか上の方まで延びている。まずはこっちに行ってみようと走っていくと、どこまでもまっさらな道路が続く。トンネルを抜けると何カ所か民家の建物が建築中であった。「そうか、ここが代替地になるのだ」と。相当広く整地されている。
次に来た道を戻って今度は谷の下の道を行く。何カ所かの集落を抜けていくと、「やんば館」という広報センターに着いた。そこで水没する地域の地図や模型を見て、このダム建設の壮大さがまさに実感できた。これはテレビで見るだけでは到底理解できないであろう。河原湯温泉をはじめ街、集落すべてが水没してしまうのだ。
今いる「やんば館」自体も水没するそうだ。しかし、谷でも結構高いところに位置している。よくテレビで途中で止まっていた第二橋脚という橋も、そこからさらにはるか見上げるところに通っている。そのすぐ下まで水がたまるとは、どう考えてもあり得そうにない。想像を絶する規模なのだ。
当然道路も鉄道も分断されるから、それぞれ新線を敷く。その工事もだいぶ進んでいる。最初に見たコンクリートの橋は鉄道新線になる予定のものだった。第二橋脚はすでに完成し、第三橋脚も新しい駅となるであろう場所も整地が進んでいる。つまり周辺の工事はやっているのだ。
4,50年の間、政治に翻弄された住民の気持ちを思うと言葉もない。安易な気持ちで民主党のマニフェストをよかれと思っていたことが恥ずかしい。もちろんかつての政権自民党時代の政官業癒着の構造は許されるべきものではない。しかし、この八ッ場ダムの建設中止か、続行かの問題はそうそう単純でない。同行した4人もそれぞれ意見が違ったが、その問題の根深さに圧倒されながら帰途についた。
「百聞は一見に如かず」。今回の職研も、N山観光様のおかげで充実した研修となった。私費での旅行だから幹事は大変だ。運転のO先生にも感謝、感謝である。(おわり)
一昨日、昨日と東京センター職研で群馬県の四万温泉と八ッ場ダム視察?に行ってきた。このたび所長の交代と職員の一部入れ替えで、確か4年ぶりの開催となる。センター職員全員が二台の車に分乗して朝9時30分出発した。
途中昼食休憩一回で道路混雑もなく、1時過ぎには四万温泉に到着した。早すぎたこともあり、四万温泉の最奥にある四万川ダムでできた人造湖を一周した。ダムの横にある駐車場に入ると、野生の猿がいた。
なんと山の斜面には、50匹くらいの猿の群れがいて、何か木の実をとって食べている。ボス猿と思われる大きな猿が道に降りてきて、人間を威嚇している。人間慣れしてない猿らしく、襲ってはこない。
その後、旅館に到着。一階が酒屋になっている木造の風情のある旅館だ。チェックインして早速に会議。来年度計画の確認と、職員の役割分担である。新所長の所信表明、続いて新所長は4年前に次長だったとはいえ、4年間で変化したこともあり、細かく事柄をチェックしていった。
3時間程度みっちりと打ち合わせやいろんな問題での議論を重ね、夜もとっぷりと暮れた。さあ、お風呂だ。この小さな旅館は全部で5室。うち3室が私たちで、他の2室もお客さんがあり、満室。お風呂は鍵をかけると廊下の上にある電光掲示板のランプがつくシステムになっており、貸し切りにできる。
こじんまりとしたお風呂は二つあり、一つは露天風呂。インターフォンで呼ぶと釣瓶風に生ビール、アツカンをおろしてくれて、露天で一杯。檜のお風呂にお湯がたっぷり。久しぶりに温泉にゆったりとつかった。会議も夕食も寝る部屋と同じ。部屋食は初めてではないか。馬刺しに肉鍋と豪華な食事が所狭しと並べられ、満喫した。(つづく)