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第40回 沖縄遺骨収集奉仕に参加 2

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 私は3回目になるが、入館してすぐに10分程度の映像を見せて頂き、その後受付にいた二十歳過ぎの女性が詳しく説明してくれた。淡々と説明はされるのではあるが、なぜこのような悲惨な事件が起き、それをなぜ次の世代に伝えようとしているのか、その思いがヒシヒシと伝わってきた。

 今回の最終日に初めて訪れた糸数壕でももう一度ふれたいが、戦争体験者の体験談をほとんど聞けない状況を林先生を始め様々な方が心配をされていたが、戦争を体験していなくても、伝えようとする熱意と過去に学ぼうとする熱意があれば十分に伝わっていくと思った。

 一緒に参加したK君が「盛んによかった、よかった」と言っていたので、「説明した女の子がかわいかったんだよね」と茶化したら「そうそう」とうなずいていたが、淡々とした中にも情感がこもり、ただの説明ではない私たちの肺腑を衝く内容で本当によかった。皆さんも是非。那覇中心部から那覇港方面に車ですぐである。

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 写真は当時の小学校の黒板を再現したもの。沖縄の言葉は正しくない間違った言葉だった時代。沖縄の言葉で話すと日本軍にスパイ扱いされたという。

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 学校の先生には到底見えない。服装も顔も全くあってない。(*^_^*)

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 館内を見学中、T先生が外の公園に慰霊碑があると言われ、行ってみた。今まで全く私は気がついていなかった。対馬丸記念館の裏手にある丘を登っていくと、韓国か中国風のお寺が前方に見え、その反対の記念館側の丘の中腹にある。

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 丘の上にある展望台に上ると那覇港の船が見える。対馬丸事件のことを知らずに対馬丸記念館と聞くと、横浜港に停泊している氷川丸みたいな船の博物館のように想像してしまうようだ。しかし、実際に来てみての事の重大さに、みな言葉を失う。

 この対馬丸を沈めた米潜水艦ボーフィン号は、ハワイ真珠湾のアリゾナ記念館に隣接する潜水艦博物館に「真珠湾攻撃の復讐者」としてその本物が展示されている。この対馬丸記念館では意識的にかそのことは展示の文章内で少し紹介されている。

 それはなぜか。次の対馬丸記念館のパンフレット冒頭にも掲載されている「いま『対馬丸』を語ること」を読めば理解できると思う。

いま「対馬丸」を語ること
(前略)

人々の「想い」、それは平和への強い「希望」です
戦争を語るとき、悲しみと憎しみが生まれます
悲しみの大きさを、「希望」にかえる努力をしないと 憎しみが報復の連鎖をよびます
しかし、報復の連鎖で悲しみは癒されるでしょうか?

いま「対馬丸」を語ること、それはなんでしょう?

いまも世界では報復の連鎖が 子どもたちから新たな夢と希望を奪っています
この報復の連鎖を断ち切る努力を一人ひとりがすること
これこそが、対馬丸の子どもたちから指し示された 私たちへの「課題」ではないでしょうか    
    (2004年8月22日 財団法人対馬丸記念館)

第40回 沖縄遺骨収集奉仕に参加 1

 先日、2月15日から18日までの三泊四日で、沖縄遺骨収集奉仕に参加した。今回も勉強会と説明会を開き、映画「ひめゆりの塔」の鑑賞や話し合いを持った。わがグループは総勢8名。男性6、女性2名、初参加者が4名。

 今年も名鉄観光のツアーで昨年とホテル等ほとんど同じ内容である。昨年と違うのは、今年は15日金曜日朝から行動を一緒にできるとのことで、できるだけ早い便で沖縄入りし、できるだけ遅い便がありがたく、羽田朝8時フライト、最終日沖縄19時20分発での日程となった。

 羽田8時となると小金井は5時頃に出なければならない。幸いこれまで国分寺からしかなかったバスが武蔵小金井からも出るようになった。ただ、それでも5時15分発のバスに乗る必要がある。毎年この一番最初が難関。案の定、1人が出遅れ、出発ギリギリにバスに乗り込みセーフ。毎年、まずは参加者の体調、健康、都合、天候、交通機関の万事のお繰り合わせを日々祈る。スムーズの旅立ちにホッとする。

 飛行機は予定通り沖縄到着。レンタカーを2台借り、金光教那覇教会に参拝。無事の到着をお届けし、ご無礼過ちなきようお願いする。林先生から遺骨収集のさわりのお話を聞く。その後は毎年、恒例の戦跡巡り、平和学習ツアーを予定している。まずは嘉手納基地や普天間基地を遠望できる嘉数高台公園に向かうため北上。

 その前に腹ごしらえ。ネットで調べてもらい、タコライスの有名店に食べに行く。ただ、私には量が多すぎて食べきれず、若者に食べてもらった。せっかくネットで評判のいいところを探してもらったが私にはちょっと大味だった。

 この頃になると小雨だった雨が強くなり、これでは基地に行っても何も見られないと判断し、北上は断念。那覇港近くにある「対馬丸記念館」に向かうことにした。

 昨年は時間の都合で立ち寄ることができず、今年の参加者はみんな初めてのこと。対馬丸についてはこれまで何度か触れて来ているが、沖縄から本土に向かう疎開船で、九州に疎開中、アメリカ潜水艦の標的となり、乗船者1800名のうち、学童775名を含む1418名(氏名判明者数)が一瞬のうちに帰らぬ人となった事件である。(つづく)

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