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反戦講演会 4

 最後にあの小田実氏登場。実際にまみえるのは初めて。すごい迫力で話し始める。まるで怒られているよう。小田氏の運動に携わった原点は、大阪空襲体験。8回の内3回を経験し、敗戦日前日の14日も空襲を経験した。

 その後、アメリカで飛行機から撮った大阪空襲の写真を載せた新聞を探し当てた。黒煙が上がり、その下はどうなっているかわからない。しかし、経験したものにとってはその下がいかに地獄か。上から見るだけでは全くわからない。その小さな写真の周りは、全く戦争と関係ない広告やプロ野球の記事などなど。

 実は小田氏も空襲を経験するまでは同じであったという。あの日本軍の重慶・南京大空襲の写真を見て、気分が高揚するとか下で何がおこっているかなど何も考えず、ただ日常の中で眺めていたに過ぎないという。今なお、アフガニスタン、イラクへの空襲で同じ経験をしているのだ。(つづく)

反戦講演会 3

 講演の二人目は澤地久枝さん。この方も70歳はこえている。体調を崩されたと言いながらもかくしゃくとして「戦後60年と言われるが、戦争をしなかったという意味で私は不戦60年と呼びたい」と話し始められた。

 そして先の大戦で、ソ連侵攻以前に日本はソ連侵攻を企てていたこと、日中戦争のこと、何と生存率3パーセントというレイテ戦なとを紹介しながら、「国家は一夜にして崩壊し、誰も責任をとらなかった。その悲惨体験を全く教訓にしていない」と指摘された。

 さらに、「対テロ戦争といわれる米軍の無差別攻撃は、家族をすべて失った普通の人を一夜にしてテロリストに変えてしまう。つまり、日中戦争のごとく、テロ戦争には終わりがない。憲法を変えることは、その終わりなき戦争に参加することになるのである」。最後に「将来世代のために、不戦60年からさらに未来永遠に続けていくために、どんな小さなことでも実践していただきたい」と締めくくられた。(つづく)

反戦講演会 2

 反戦講演会、トップは鶴見俊輔氏。新聞紙上でしか知らなかったが、聞きしにまさる人だった。何度も耄碌したと言いながら淡々と話し始め、実は自身で『耄碌帳』という本を出しているように、老獪と言っていい話しぶり。さすがに歴戦の勇士である。

 鶴見氏は、「べ平連」を立ち上げた中心的な人物。そしてその反戦運動中大失態を犯したという。それは、ベトナム戦争脱走兵を援助活動中、ある脱走兵がスパイであったことだった。しかし、「べ平連」はそのことをとがめず追放することはなかった。運動史としては珍しい組織的運動であったという。

 また、氏が深くかかわった日本人脱走兵の援助は、近代史として今後につながる運動のあり方を示したという。それは、たまたまアメリカが好きでわたっていた日本人が、生活費や大学へ入れるとの軽い気持ちで徴兵に応じたもの。休暇で日本に帰ってきたとき、両親が強く反対した。親思いの本人はそれを受け入れた例とのことである。

 最後に氏は、間違いなく悪くなる日本において、いよいよの時は体を張って抵抗し、日本の刑務所に入ることが夢という。実は、アメリカ留学中、アメリカの刑務所に入ったことがあり、「日米刑務所の比較研究という新たな学問分野を開いてから死にたい」と、冗談とも本気とも思える決意を述べて終わった。(つづく)

反戦講演会

 「イラク戦争、憲法九条と私たち―ベトナム終戦30年のいま―」と題した九条実現4・10反戦講演会が昨日、昭和女子大学であった。講師は、小田実氏 、澤地久枝氏、 鶴見俊輔氏の蒼々たるメンバー。

 しかし、米軍の北ベトナム攻撃から40年、ベトナム戦争終戦30年という時が流れ、お三方も80代、70代のお年だ。2000人の会場であったが、半分弱の500人以上はいたと思う。ただ、やはり70代前後の人が主流で、若者はほとんどいない。

 それも無理もないと思う。私が1959年生まれで、実感としてのベトナム戦争の記憶はない。小田さんはテレビ、新聞によく出るのでそれなりに知っているが、「ベ平連」についてなどほとんど知らない。今の学生などは「ベ平連」の名前自体も知らないであろう。

 こうした反戦や憲法を問題にする平和運動が、年を取ったインテリや偏狂な左翼、労働組合などの運動で、古くて、怖くて、ださいと受け取られていることは日本社会にとって不幸である。結局私たち1人ひとりに跳ね返ってくる。そこに目覚めさせることがいかに大変か。

 ある友人が、「それこそ戦争が起こればいい」という。本末転倒の極みであるが、ことはもっと重大である。実は、そのような言動が本当に戦争を用意するのである。ますます悪循環。しかし、ここで沈んでいてはいけない。中身の様子についてはまた明日。

寮生会総会

 本日寮生会総会、寮長以下新役員を選出する。かつては寮監の私も出ていたが、もちろん寮生会は自治組織なので今は出ないようにしている。寮長がほとんど話し合いで決まるからだ。

 寮監就任数年目までは、寮生会の組織を軌道に乗せるために最初は出席していた。そして何年目かのある時、寮長に3年生と2年生が立候補し、選挙になった。結果何と1票差。3年生が勝ち、何とか面目を保ったが後にも先にも選挙はこの1回だけ。

 あまりに壮絶だったので、その後は選挙にならず話し合い。いつだったか、寮監が出席するとあらかじめ既成の路線がしかれ、寮監の恣意的な考えで寮長が決まっているのではないかとの問題指摘もあった。そのようなことで、寮生会総会には全く出席せず、まかせっきりである。

 で、おもしろいのが、私より少し下の世代がこのことを聞くと、「え、なぜ出ないの。よく任せられるね」という反応。結構下の世代は、「出なくていいの?」。同世代は「出なくて当たり前」。上の世代は、「当然、出てはだめ」との反応。もろに時代が反映していると思いませんか?。どの形がよりふさわしいかわからないが、とりあえず出しゃばらないことにしている。

東京寮花見大会

 昨日は東京寮恒例の花見大会及び第一弾の新入寮生歓迎会で失礼いたしまた。寮前庭で花見を始めてから十数回、延期になったのは初めて。桜が早く咲きすぎて、その後雨ばかりで中止になったことは一回ある。ここのところは早咲きが多く、遅咲きは最近ではあまり記憶がない。

 寮前庭にあるソメイヨシノは年々立派になり、木から4、5メートル離れている寮の建物にもうすぐとどきそうだ。今年も立派な花を咲かせてくれた。寮ではいつも午後3時頃から始め、寮生たちが三々五々参加してくる。恒例として日が暮れるまで、寒さをがまんしながら飲み続ける。ライトアップするからだ。夜桜また格別。

 いよいよ寒さの限界になると、誰かが必ず中に入ろうと言いだし、今度は寮の玄関ホールで飲み直す。調子のいいときは朝方まで酌み交わすが、ここのところはさすがに3時からぶっ通しなので、途中ダウン当「思うがままに」も書けなかった。中日・巨人戦の様子が銀座方面から喜々としたメールが入るは、こちらはがっくりで悪酔い。しかし、今年もまた新たなメンバーでスタートをきった。けが過ちのなきよう、万事にお繰り合わせを蒙ってまいりたい。

郵政民営化に思う。

 いったい、わが国の政治家たちは何をやっているのだろうか。道路公団の問題にしろ、年金の問題にしろ、郵政民営化の問題にしろ、全く何をどう改革し、どうよくなり、どうよくなったのか、全くわからないではないか。

 国の借金はかさむばかり。このままいくと室町時代の徳政令なる選択肢かないという悪夢しかない。改革を叫ぶ方も阻止する方も、その既得権益や意地、保身に汲々として、国家百年の計が全くないではないか。

 閣議決定された郵政民営化の基本方針に「郵政民営化は、国民に大きな利益をもたらす」とある。それは、「良質で多様なサービスが安い料金で提供が可能」、「公的部門に流れていた資金を民間部門に流し、国民の貯蓄を経済の活性化につなげることが可能」等々をあげている。

 しかし、これはもうすでに今でもほとんどできているのではないか。国鉄のような親方日の丸、サービス怠慢など今の郵便局の方々にはみじんもない。また、公的資金も日本経済にとってなくてはならないものであり、逆に民に流れたお金はもろに市場経済の動向に左右され、福祉や介護など恒常的に必要とされるサービスが景気の影響で不安定化する問題もある。

 民営化賛成も反対も、なぜ必要か、なぜ必要ないのかをもっと明確に示すべき。今聞いている限りでは、何の問題もないではないか。いや、道路にせよ年金にせよ、本当の問題は「政・官・業」癒着にある。賛成派も反対派も政治家はこの問題だけには触れられたくないらしい。結局パフォーマンスだけか。結果、政治への無関心はますます深まり、最悪となる。

「戦後」ではない。

 イラクでは今でも毎日戦争による死者が出ている。アメリカとイラクの大学の合同現地調査によると、イラクの民間人死者は10万人を上回るという。

 そのイラクの南部に陸上自衛隊を送り、「人道復興支援活動」と称して、給水・インフラ整備・医療支援を行っている。しかし、一方で「安全確保支援活動」として、オランダ軍へ給水したり、航空自衛隊は、米英軍の軍用物資、武装した米兵を輸送しているのである。

 「安全確保支援」という言い方は、先の大戦当時から、例えば「退却」を「転進」、「全滅」を「玉砕」、「原子爆弾」を「新型爆弾」と言い変えた得意の言い回しである。安全確保といかにも穏当に聞こえるが、輸送、補給、修理、整備、建設、通信などの後方支援なのだ。これは兵站支援であり、武力行使と一体なのは戦時国際法から見ても常識中の常識である。

 まさに米軍への荷担にほかならないどころか、事実上の参戦である。こともあろうに日本国は、その「対テロ戦争」といわれるものに堂々と参戦したいがために憲法を改正しようとしている。今は、戦後でなく、戦争中なのである。子供は殺してはいけないのは当然のことである。しかし、イラクの子供を殺すのは致し方ないという立場に私たちは立っているのである。

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