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地震の影響

 福島県や北関東地域に余震が頻発している。東京では、ほとんどが震度4以下の揺れだが、それでも恐怖と気持ち悪さを感じるので、揺れのひどい地域の方はさぞお辛いことと思う。加えて原発の恐怖もある。「もう、やめてくれ!!」という叫ぶ気持ちもよくわからせていただく。

 寮では16日、開寮記念祭に併せて東日本大震災復興祈願祭を予定しているが、その16日で帰省していた寮生・留学生がぎりぎり揃いそう。今日も母親に日本入りを強く止められていた中国からの留学生が元気よく帰ってこられた。地震の影響で授業のスタートが大学によってまちまち。息子が通っている大学は5月2日スタートで連休を返上するとのこと。

 それから一昨日、被災した寮生の妹さんが寮に避難してきた。娘と同じ高校3年生で学校再開まで1か月程度在寮の予定。ご両親も無事であったが、自宅は二階の屋根を残して壊滅状態と聞いていた。その写真を見て、何とも言葉もなかった。

 親御さんの車は買って1年も経てないそうだが、押し流されて運転席が空に向かって立っている状態。お家は原型をなしておらず、どこがどうか全くわからない。部屋の中に冷蔵庫がなぜか仲良く2台倒れているが、そのうちの一台はどこから入ってきたか、持ち主がわからないそう。

 どういう状況で地震と津波に遭ったか、ご両親や親戚の方がどうであったか、少し笑いをいれながら話されるが、その内容は息を呑むほどで、想像しただけで恐くなる。一歩間違えれば、この世を去っていてもおかしくないのだ。

 ちょうどその日は寮生会の総会があり、みんなにも紹介させていただいた。お姉ちゃんが一緒とはいえご両親と離れ、慣れない土地でまた地震もまだまだ頻発している状態。なかなか落ち着かないと思うが、少しでも楽しく過ごしていただきたい。幸いギターとピアノをやっているとのことで、バンドをやっている娘と気か合いそうだ。

明日、東日本大震災から震災1か月 一斉御祈念の呼びかけ

 首都圏フォーラム議長の田中元雄先生が後掲の通り、「世界各地の金光教信奉者の皆さま」と呼びかけておられます。私明日は、卒寮生O君の新築工事地鎮祭奉仕のため、心中祈念をさせていただきたいと思います。

 

 

世界各地の金光教信奉者の皆さま

 

 

下記のような案内を信奉者に出しました。

皆さまのところでも、その土地の時間の 411日午後246分にご祈念をして頂けば、祈りが24時間かけて世界を一周することになります。

  

2011311日午後236分、マグニチュード9.0の大地震と巨大津波。

 

亡くなった方々への鎮魂の祈りと、被災された方々の身の立ち行きを願って、祈りの時を持ちたいと思います。

 

大崎教会では、毎月11日のその時間に、神徳賛詞、天地書附、大震災復興祈願詞(製作中ー今回は間に合わない)、新霊神拝詞をもってご祈念を仕えさせて頂きます。

 

参加出来ない方へは、その時その場で1分間の黙祷をと呼びかけます。

 

 

『原発供養』

 国や電力会社は、原子炉制御の”命綱”ともいえる電源を、どう位置づけてきたかについて、『読売新聞』によると、「規制当局である内閣府の原子力安全委員会は、1990年に定めた発電用軽水炉の安全設計審査指針の解説に、長時間の全電源喪失について『考慮する必要はない』と明記しいる。理由は『送電線の復旧または非常用交流電源設備(非常用ディーゼル発電機)の修復が期待できるため』としており、国は外部電源を失ってもすぐに非常用発電機が作動すると想定してきた」とある。

 また、今朝のテレビでは、海に放射能が漏れ出ることはあり得ないのだから、魚の放射性物質の基準値はそもそもないのが当たり前のようなことを言っていた。驚きを通り越してあきれるばかりである。戦前の軍部にみられた、都合のよい情報しか取り入れない希望的観測思考や独善的視野狭窄、無責任体制に導く思想や物事の考え方を、全く反省もなく引き継いでいるのではないか。

 この原発問題で、あの『日本辺境論』著者の内田樹氏のプログ(http://blog.tatsuru.com/)の、この問題を日本における宗教的、信仰的に観点からみている「荒ぶる神の鎮め方」、「原発供養」と題した記事は非常に参考になった。

 皆さまにも一度読んでいただきたいが、内田氏は、「原子力についても、そもそもその設営のときに、伝来の古法に則って、呪鎮の儀を執り行うべきだったと私は思う。(中略)
ほんとうに「こういうやりかた」をして原発を管理運営していたら、今回のような事故は起こらなかっただろうと私は思う。(中略)呪鎮の目的は「危険を忘れ去ること」にあるのではない。逆である。「恐るべきもの」を「恐るべきもの」としてつねに脳裏にとどめおき、絶えざる緊張を維持するための「覚醒」の装置として、それが必要だったと私は申し上げているのである」と。
 
 本教流に言えば、国や電力会社や私たち一人ひとりのあり方は、天地のお働きに対して畏れ、畏むことを忘れ、自分勝手に振る舞ってきた無礼のあり方そのものと言えよう。そのつけが一気に今回吹き出たのだと思う。

 そこで本教信仰としてどうあればよいか。原発を忌み嫌い、この期に及んで単に反対するだけでは全く足りないであろう。内田氏が橋口氏のブログを引用して述べられているように、40年間、耐用年数を10年過ぎてまで酷使された原発に対して、ここまでのご苦労をまずはお礼申し上げなければならないであろう。

 橋口さんが言う「ろくな手当てもされず、安全管理も手抜きされ、あげくに地震と津波で機能不全に陥った原発に対して、日本中がまるで「原子怪獣」に向けるような嫌悪と恐怖のまなざしを向けている。それでは原発が気の毒だ」との言に、なるほどその通りだと思う。

 また、現在必死に原発の暴発と戦っている多くの方たちへのお礼と、ある意味で私たちの身代わりとなって避難してくださっている住民の皆さまにもお礼を申し上げなければならない。

 その上で、自分勝手に振る舞ってきたご無礼に対して天地の神様に真にお詫び申し上げ、深く反省し、ここからの教訓を教えていただかなければならない。そして、どうかこれ以上被害が拡大しませんようにと神様にお願い申し上げること。これが今として私にできうる御祈念の中身ではないかと思い、日々祈らせていただいている。

チェーンメール

 「友達のお父さんがコスモ石油に勤めていて教えてもらったのでみんなにも伝えます。気をつけてください。千葉、首都圏の方へ。千葉の製油所、製鉄所の火災の影響で千葉、首都圏では、科学薬品の含まれた雨が降ることが予想されます。 傘やレインコートの使用をお願いします! 広めて下さい!
とりあえず広めて!
雨にあたらないようにして下さい!」

 私のところに来たチェーンメールと全く同文のメールが、写真付きで今日の『東京新聞』12面「チェーンメール、転送やめて」という記事に載っていた。私のところにも来たということは、よほど大量に出回ったのであろう。記事によるといまだにこの情報を信じている人がいるらしい。

 私のところへは実は二箇所から同じメールが届いた。発信元の方はいずれも信頼できる方である。おそらくその方の発信元の方も信頼できる人であったろう。だから、大量に飛び交ってしまう。

 私も一読目はコスモ石油と具体的なのでうっかり「こりゃ、大変だ」と思ってしまったが、「広めて!とりあえず広めて!」との言葉がどうも嘘くさく、そのまま放っておいた。ほどなく、「今のは誤報でした」とのメールが来たが、人間少しパニック状態になると何が本当の情報か判別できなくなってしまう。

 それからもう一つ、義援金詐欺なるものが横行しているとのこと。こうした人の良心や不安な心につけ込んで騙すという輩は到底許し難い。自己責任が強調される世の中で「騙される方が悪い」という風潮がある。ちなみに、この『東京新聞』の記事も「自己防衛に努めたい」との結論だ。私はこれはおかしいと思う。悪いのはあくまで騙すほうだ。ある意味で一番重たい罪ではないかとさえ思う。徹底的な反省を促すようなシステムがほしい。

首都圏フォーラム復興支援

 首都圏フォーラム復興支援隊先遣隊に続いて、昨日夜に石巻派遣隊2名、本日朝気仙沼派遣隊3名が必要な物資を積み込み出発したとのことです。
 
 私、寮の方も地震の影響で、入退寮の時期がいつもより大幅にずれ込んできており、また留学生の希望者が立て続けにきたかと思うと、これまた原発の影響か、キャンセルが相次ぐなど振り回され、なかなか東京センターの方へも出務できないようなことです。

 本教では、大阪センターや少年少女会連合本部も本格的な支援活動の準備を始めているとのことですが、そのようなことで私も詳しいことはよくわからず、ただただ御祈念させていただいているようなことです。

 万事にご都合お繰り合わせを頂かれ、所期の目的を達成されますよう健闘をお祈り申し上げます。

原子力発電に思う

 今からもう30年も前になるが本部教庁布教部時代、現代社会問題研究で「原子力問題」もよく取り上げて議論をしていた。ちょうどその頃の中近畿教区主催の青年教師研修会が福井県美浜町で開催された。

 せっかくだから前の日に美浜原子力発電所を見学しようと訪れたことがある。実は、わが故郷の那智勝浦への立地計画が頓挫して、その代わりに建設されたのがこの美浜原発と聞いている。

 小学生の頃、原子力発電建設反対の漁船団が組まれ、なぜか大漁旗に軍艦旗、日の丸を高々と掲げて、軍艦行進曲の音楽で海上デモ行進が頻繁に行われていた。また周辺に林立していた赤い旗は何だろうと疑問に思った記憶がかすかにあり、今にして思えば右も左も建設反対で一致していたのだろう。

 中近畿教区の研修会でもこの問題を話題にした。アメリカでは、原子力発電は危険なもので事故もあり得るという前提で考えており、地域住民にもあらかじめ危険度を何段階に分けて説明している。しかし、日本では事故はあり得ない、絶対に安全であるというのが大前提となっているのはおかしいと。

 しかし、日本の原子力発電所はその後何度か事故を起こしたが大事には至らず、安全神話は生き続けた。そしていつの間にかあまり問題にしなくなってしまった。この問題が悩ましいのは、私たちも原子力の恩恵に浴していることだ。なかなかあからさまに反対しづらい。

 私自身も原子力発電はつなぎで、21世紀ともなれば太陽エネルギーを最大限利用した安全な発電が科学技術によって生み出されるだろうと楽観的だった。今となってはとんでもない間違いであった。あまりにも安易に電気を使いすぎていた。基本的な生活のあり方まで猛省を迫られていると思う。

「頑張れ」ではないのでは?

 地震に加え、福島原発事故の影響で私の身近にも精神的にナイーブになっている人が多い。聞くところによると、地震直後の小金井・国分寺辺りの心療内科はどこも予約で一杯で、新規の診察は断られるとのことだ。

 東京でさえこれだから、被災者の皆さまの精神的苦痛、心神耗弱はかなりのものに違いない。そこに持ってきて今日日の新聞やテレビは「頑張れ」「負けるな」と無邪気に叫んでいる。果たしてこれでいいのか。どうも納得がいかない。

 「頑張れ」ではなくて、頑張らなければならないのはこちらではないかと。被災者の皆さんはもとより、日本全体がその苦難を分かち合うべきだ。ただの言葉だけではなくて、それぞれが相当の辛抱を覚悟しなければならないであろう。

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