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自身の信心を確かめる 終

 縷々ここまで述べてきたが、常に自戒していることがある。それは信心を頭の中だけでわかったつもりにならないことである。もちろん頭の中で思索することは大事なことだ。しかし、信心はそれだけでなく、生き方、生き様であるから、脳だけてはなく、体全体で行わなければならない。信心は哲学ではない。理性や知性だけでなく、体感、体得というものが大切である。

 とわかっているようでも陥ってしまう過ちが、「み教えで人を切ってしまう」ことだ。無意識に犯してしまうから始末が悪い。信心は体全体で行うものであるから実践、行動が伴わなければならない。行動が伴わないただ口先だけの信心では、上から目線の親見識を振りかざしているだけで、周囲にとっては迷惑きわまりないことになる。

 私の世代は近代合理主義教育をどっぷりと受けてきたので、ついつい物事の意味や意義にとらわれ、言葉の表層的なところだけでよく議論したりする癖がある。二者択一や二分法思考にとらわれ、白か黒か、プラスかマイナスか、よいか悪いかという単純な思考に陥る。これでは人は助からない。

 言葉は思いを伝える最も有効な手段であるが、最初に言葉があったのではない。たとえば頭の中の思いは、「思いやり」という行動があって初めてそれが「思」という言葉になった。心も、「心遣い」という行動があって「心」となったと思う。

 三代金光様がご神勤当初、ある先生が「教祖様、四神様はよくみ教えをくだされましたが、あなた様はいっこうにお話しくださいませんが」と尋ねられると、三代金光様は、「教祖様、四神様はみ教えをされましたから、私はそれを実行させていただきます」とお応えになったと、ご本部から出されたリーフレットに教えられた。

 み教えは、自分自身にいただくものであり、人にいただかすものではない。信心は、み教えを実践、行動して、人に伝え、現していくもの。教師を目指して学院に行く寮生には必ずこのことを聞いてもらい、自身にも常に言い聞かせている。

 当ブログは言葉だけのツールであるからこそ、常に頭の中だけのことにならないよう、自分自身の信心を確かめる意味において書いてきた。今後ともどうぞ、ご指導、ご教導のほどよろしくお願い申し上げます。(おわり)

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