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上北沢教会ご大祭奉仕

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 11月3日13時30分から、上北沢教会教祖130年生神金光大神大祭の祭員典礼と教話の御用をさせて頂いた。教話の概要は次の通り。

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 「お道の信心の真髄は、教祖様が『人を助けて神にならせてもらうがよい』と仰った人を助けて神になること。その道をお開きになられた教祖様に始まり、歴代金光様、直信・先覚・先師の御取次に助けられた人々がまた生神となって人を助けての130年というお年柄を迎えている。そのおかげを頂いての130年というまずはそのおかげの自覚が大切。

 それをおかげを知らない世の人々に対しておかげの世界を知らせ、助かりの世界を展開していく、そのことが皆様信奉者1人ひとりの信心の深まりと、展開に期待されており、ここから150年、200年へと展開していく使命が『人を助けて神になる』道に生きる私どもに課せられていると思う。
 
 東京学生寮では気仙沼を中心にした首都圏ボランティア機構によるボランティアに参加しているが、ある仮設住宅で何もかもなくされた方が『地震の前は本当に夢のような生活をしていた』と仰った。あっと思わされた。

 この方が仰る夢のような生活は、現に今私たちが毎日過ごさせて頂いている当たり前の生活そのもの。夫婦げんかをしたり、子どもが言うことをきかなくて、かりかりくることなど、まあちまちましていることであり、女房や子どもがいてくれるだけでいい。

 東京センターから帰宅して部屋にあかりがついているだけで、ようもようもここまで逃げずにいてくれたと、もう奇跡みたいなもので、奇跡はすでに起きているとつくづく思わされた」と話した。

 次に金光新聞の「信心真話」にも紹介した寮生であった近藤晃君の体験について、ボランティア先のおばあさんから「泥だらけになった仏像を捨ててくれ。もう神も仏もない」と言われて何も言えなかったが、東京に帰ってきてすでに風化が始まっている現実をみて、神様仏様ではなくて、すぐに忘れてしまう人間側に問題があったと気づかされた辛いボランティア体験を紹介した。

 また、家族が犠牲になられた漁師の方の「家族を奪われて海が憎らしいと日に日に海を憎んでいた。しかし、毎日海を眺めていてだんだんに思えてきたことが、地震は一瞬だったが、この海は先祖代々、何代にもわたって自分たちにどれほど恵みを与えてくれてきたか。魚が捕れ、それを生活の糧として今まで命が続いてきた。それを当たり前と思ってきた自分がいる。海を憎むのは筋違いだと気がついた」とのお話しを紹介した。

 さらに「当たり前の日々が実は当たり前ではない。真に生かされて生きているということに気づき、そこから感謝のこころが芽生え、そしてこの漁師さんが助かり元気になったことで、うちひしがれていたその地域の周囲の方々も助かっていった」事実や、

 また、近藤君などのボランティア活動をしている人々に触れて、悩みを抱えて参加したボランティアの方が助かっていったこと、感謝のこころ、おかげの自覚から人を助ける働きが生まれ、人が助かる世界が展開していった」事実を紹介した。

 最後に、信心も囲碁や将棋のように初級、中級、上級があることについて、四神様の信仰体験や四代様のみ教えを紹介しながら、おかげを頂くばかりで我流に陥りやすい初級の信心から、当たり前のことが当たり前ではないと自覚していく中級の信心へ、そして自分に都合が悪いことも「難はみかげ」とそこから一段と深い信心へと向かい、「人を助けて神になる」上級の信心に向かう大切さについてお話しさせて頂いた。

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