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第42回沖縄遺骨収集に参加 1

 大戦後70年となる第42回金光教沖縄遺骨収集にわがグループは、東京学生寮から6人、青年教師、ACT会員、また女子高校生の参加も得て、総勢12人が参加した。内初参加者が5人、久々の参加が2人いたところから、まず最初に那覇教会に参拝、その後の戦跡めぐりなど昨年と全く同じ行程となった。

 ただ、本年の日程が中国の旧正月と重なり、また円安の影響もあってか、中国、台湾からの観光客が押し寄せているとのことで宿が取れず、1月月末までホテルが決まらず、かなりやきもきした一月となった。

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 遺骨収集第一日、今年は大戦後70年という節の年もあってか、130人近くの参加者が集った。そのうち40人近くが一般から参加とのこと。ありがたいことである。そのようなことでいつもは10人前後のわが一班も何と今年は20人の班構成となった。

 班長である私一人ではどうにも把握できがたい。一昨年だったか、午後から終了時間いっぱい迷子になった方もいた。そこで、ここのところ毎回参加してくれているB氏を副班長に任命。一般からの参加で起動班のベテランKさんの3人をトップに班内をABCの3グループに分けさせて頂いた。

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 わが一班は、先に事前調査で入って頂いたN さんたちが発見したご遺骨の収集に向かった。本部から密林の中を歩いて約40分で現場に到着。端から仰天させられた。平らな岩の上に大腿骨や骨片がむき出しになっていたのだ。おそらくここに倒れたまま亡くなったのであろう。

 足から反対方向の頭の付近には頭骨は見当たらない。しかし、岩下にあるとの確信し、大石、小石を取り除き下の土を掘って頂くと、作業を始めて30分くらいで頭骨が発見され、その周囲から続々と各箇所のご遺骨が収集されていった。

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 遺骨収集担当の公園管理者の方も見えられ、崖上からの飛び降りや海から打ち上げられた可能性を調べる。数年前に私が第二発見者として遭遇した自死者遺体のように、その可能性もなきにしもあらずからである。

 その場所から上を見上げると4、5メートルある巨岩がそそり立っている。しかし、どうがんばっても登ることはできない。下の海岸線からもかなり上の方に位置し、流れ着くとことも考えられない。

 約1時間ほど経た頃か、緑のボタンが発見された。ベテランのNさんによると陸軍の軍服のボタンは緑色だとのこと。これでこのご遺骨は軍人さんで間違いないとのことであった。ということは、この摩文仁の海岸線の断崖下は他の団体も含めてもう何度も何度も入っているところであり、それにもかかわらず発見されたということは、まだ誰も歩いていなかった場所ということである。もし通ったら絶対に見逃さないであろう。

 何ともこの場所で亡くなられてから70年もの間、雨風に晒されていたということになる。何ともどう表現していいやら、何の言葉も見つからない。ただただ、御霊様の立ち行きを祈るばかりであった。(つづく)

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