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オスプレイ普天間基地強行配備

 オスプレイ普天間基地配備を県知事が反対し、反対集会に10万人もの方が参加するなど、多くの県民が反対する中で、オスプレイが普天間基地に降り立った。まさかこんなに早く配備されようとは。

 普天間基地には、私と一緒に沖縄遺骨収集に参加したグループの中で初参加の方を必ず連れて行く。沖縄地上戦最初の激戦地となった嘉数髙地跡にある展望台から見ると一望できる。まさに街のど真ん中に滑走路があることが一目で理解できる場所だ。

 その周辺に立地する小学校や中学校は一つや二つではない。その上を容赦なく飛ぶ。世界一危険な空港に世界一危険な飛行体が飛ぶ。その下に住む人々の恐怖の気持ちは察するにあまりある。幾万の人々の命がかかっているのだ。

 これまで沖縄基地問題のあまりの進展のなさにイライラし通しであった。鳩山元総理が「少なくとも県外」と言い放ち、「秘策まである」と言っていた時の期待感は大きく、その結果のあまりの策のなさに唖然としたものだった。

 そしてそれよりも、政治家やマスコミの鳩山前総理への個人攻撃しか脳のないあり方に無性に腹が立ったのを思い出す。誰もその張本人であるアメリカに対してものを言ってないのだ。そのことをぶつぶつ呟いていたら、ある方が「敗戦国だから仕方ない」と言った。

 確かに敗戦国ではある。が、「仕方ない」は納得できない。「仕方ない」はいつも指摘している「ネセサリーコスト」の思想そのものを肯定してしまう。ましてこの問題は数十万の命がかかっているのだ。

 もし、事故が起きて多くの人のいのちが奪われたら、誰がどう責任をとってくれるというのだ。いや、これは責任のとれない次元にある。総理や自民党の総裁はことあるごとに「国民の命を守る」といい格好ばかり言っているが、どこをどう守るというのか。

 「命を守るために命を犠牲にする」は詭弁だ。間違っている。その犠牲になる方に入ってみればすぐわかることだ。「日本国民全体の平和のために、沖縄県民が犠牲になるのはやむを得ない」、これは「アメリカ国民のために、日本国民が犠牲になるのはやむを得ない」と論理構造が一緒なのだ。この論理が堂々とまかり通るのであるから悲しい。

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