このたびは自由席参拝券を使用、「のぞみ」はだめで「ひかり」にしか乗れない。8時3分発だが、7時40分頃早めにホームに入った。三連休の中日だが結構空いている。万事スムーズに金光に着かせていただいた。
宿泊場所となる光風館に荷物を置き、すぐに祭場に向かった。祭場に入るとやはり考えが甘かった。1階も2階もすでに満杯。廊下に人が溢れている。境内放送で「会堂、修徳殿でも参拝できます」と放送があったので会堂に向かった。会堂もすでにほとんど一杯。10日はお日柄と連休で一番多いと聞いていたとおりであった。
その後、寮長が代表としてお結界にお届け申し上げ、研修場所である金光新聞編集室の会議室に向かった。このたびは、金光財団関係の職員であり、ここのところ東京学生寮に何度もご出向いただいている金光浩行先生に講師をお願いした。
講師は、生まれ育ったご霊地金光が好きになれず、専門学校に通うために上京、卒業後アパレル関係の販売の仕事に就き、その後金光教教師となったいきさつについて、概要次のようなお話をいただいた。
「金光という土地柄は嫌であったが、ご神米を部屋中見えるところに貼って仕事上のお願いをして、信心らしきことはしていた。そのおかげもあってか、仕事は順調でいろんな賞を取ったり、給与も今の10倍はもらっていた。そして同じ業種の女性と知り合い結婚した。
しかし、あるブランド店の店長をしていた妻がいろんなストレスから、「このまま続けると壊れてしまう」と仕事を辞めた。ちょうどその頃、父が病気で入院するということになり、実家に帰ったりする中で、妻が金光に住みたいと言い出した。私は普通は逆だと思っていたが、結論的には実家に帰り、金光教教師を志して今日に至っている。
教師となっても、まだまだ信心になっていないが、皆さんに伝えたいことは、人生自分が思い描いているようには必ずしもいかないということ。人生自分が思っている以上に、予想のつかないことが起きてくるということをまずは知ってもらいたい。そして、そうとなってもあわてず、たじろがないこと。私は苦しいときの神頼み程度の信心であったが、それでもこの道の信心を放さず進めていけば、必ずや幸せな道が開けると思う」。(つづく)
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