9月寮月例祭

| コメント(0)

 9月9日の寮月例祭は、運営委員田林美千代先生ご祭主のもとに仕えられ、その後那覇教会長林雅信先生の講話を賜った。林先生はこのたび神奈川・山梨連合会の講演会の講師で来られ、その後にわざわざ寮までお立ち寄り頂いた。以下に講話の概要を記す。

 


 長年皆さんで沖縄遺骨収集に来て頂き、また今年は寮監の辻井先生が金光新聞の4月号『信心真話』に「声なき声」と沖縄遺骨収集について書かれ、続いて5月号に寮生3人の方の座談会記事が載った。

 現代社会は、人間がそして天地が壊れてきている。社会の呼び方として一つは「格差社会」、もう一つは「無縁社会」、さらには「自殺社会」と言われている。総じて「生きるのが辛い」という社会になってきている。

 そういう中にあって、金光新聞の記事を読んで感動した。若い皆さんが「いのち」とか「信仰」とか、生きることを真剣に問題にしておられる。その基づくところは、沖縄遺骨収集や震災のボランティアに参加して思われ、感じられたもの。私は現地で何ほどのことも出来ていない。しかし、こうして皆さんが沖縄の助かりのために祈り、行動してくださっている。ありがたいことである。そのようなことで、せっかく神奈川まで来たので皆さんとお話できればと寄らせて頂いた。  

 さて、金光教の天地自然とは神様そのものである。金光とは、金に光る。金乃神の金はお土地である。光は天津日の光で天のこと。金光とは天地である。しかし、その天地が壊れてきている。神様のお体の中で震災が起きる。事柄は自然災害であるが、神様は「お土地を壊してないか、汚してないか」、「天地の営みに対して畏敬の念はあるか」、といったことを教えられている気がする。

 天地、社会を何とかしなければならない、これは金光教しかできない。153年前に金光教は立教した。その時代には日本古来の神道、仏教、キリスト教の3大宗教はすでにあった。またその他いろいろな宗教もある。民間宗教もある。なぜ、金光教が生まれたのか?それには意味がある。金光教がなかったら、今後どうなるのかという問題がある。教祖は、明治15年「世は開けるというが、めげるのだ」、「壊れるのだ」と仰った。それでは困る。だから「金光が世界を助けに出た」とこれが130年前。だったら「お任せします」ではダメで、このお道にご縁を頂いている信奉者が教祖様と同じ思いで、1人ひとりが金光大神となって、壊れつつある社会を助けるしかないのだ。

 ある作家が震災後に、「人間には生きる基軸がいる。欧米にはバイブルがある。中東にはコーランがある。日本にはない」といった。冗談ではない。金光教がある。金光教の教えを基軸にすると天地は壊れることはない。戦争もなくなる。金光教は「和賀心」。和らぎ喜ぶ心で人が助かり、自分も助かる道がある。だから金光教が世に出なければならない。21世紀になる前に、教外から「21世紀は金光教の出番」とまで言われた。金光教を基軸にすると、神様から叱られることはない。

 先ほどの祭典で、1910(明治43)年の「綱領」と1991(平成3)年の「願い」・「精神」をお唱えさせて頂いて驚いた。まさに金光教人としてこの通りで最高の生き方である。この精神で実践していけば、21世紀の金光教の出番に繋がると思う。

 人間は生まれた時に心と体を頂いた。教祖様は「分け御霊」と仰る。私たちは体の健康には気をつける。ところが心の健康にはあまり気をつけていない。心にも食料がいる。魂にも食料がいる。このことに自覚をもって取り組んで頂きたい。何よりもお道の教えが最大の魂の食料だと思う。私は信心の4代目で知らず知らずのうちに魂に栄養を得ていた。これがどれだけありがたいことであったか。

 現在73歳になった。ふり返ってみて、一番ありがたいのは「人生に悔いなし」と本当に思えることである。同じ年代の友人が、年をとってしまい、「西の空に夕日が沈んでいく」心境だと手紙をよこした。私は違うと思った。「今から日が昇る」という感じ。それはこのお道にご縁を頂いたお蔭である。

 今日の9月9日は生まれて初めて出会った日である。去年も9月9日はあったが、平成24年9月9日は今日初めて出会った。これが10日になると今日という日は100歳まで生きても二度と会えない。一生にたった1回しかない大事な今日の日である。そのように思ったら、ぼやぼや生きていられない。今日一日精一杯生きていれば、「あの時ああしておけばよかった」ということはない。

 もう一つ、あなた方は自由に目も見え、耳も聞こえ、手足も動く。しかし、世の中には見えない、聞こえない、動けない人がいる。決して当たり前でない。当たり前のことが当たり前でなく、有り難いのだと思えたら、自分の体一つ大事にする。

 今日一日を大事にして頂き、当たり前が当たり前ではないという気持ちで生活して頂きたい。この寮は祈られて、守られて、勉強ができている。この環境はすごい。どうぞ、これからのお道のためにぜひ力になって頂きたい。皆さんでこのお道を本当のお道にして頂きたい。来年教祖130年。同時に3代金光様が亡くなられて50年。再来年は教祖様生誕200年。さすが金光教だといわれるようにお互いに頑張らされて頂きたい。 

 

コメントする

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.27-ja

2012年9月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

このブログ記事について

このページは、つっさんが2012年9月16日 20:56に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「気仙沼から帰りました。」です。

次のブログ記事は「9月寮月例祭 2」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カウンター

累計:
本日:
昨日: