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非戦平和学習会発題概要 3

④改憲論に対して、具体的方法を提示する。
1 【原理的・合理的判断】武力・軍事力による平和の方が実は危険。暴力に訴える場合と非暴力の貫く場合のどちらが有利であり得かという合理的判断の必要性
2 【平和的手段】 複数の非暴力、平和的オプションの存在 
3 【信仰に基づく平和の必要性】 法、倫理、道徳を真に規範たらしめる信仰。

 とはいうものの改憲論者からは、「中国は軍事力を増強、北朝鮮はミサイルを向けている。攻めてきたらどうするの。尖閣諸島なんか一発でとられちゃうよ。国家が自衛権を保持するのは当たり前であり、軍事力を持って世界に貢献してこそ一人前の国家である。何も戦争をするというのではなくて、抑止力のため備えておくことが必要」と。

 また「理想だとか正しいとか正義感ぶって、自分たちは安全な場所にいて、きれい事ばかり並べている。憲法を守れ、戦争は嫌だと叫んでいれば平和が来ると思っている空想主義者」だと。  

 こうした意見に対して三つの観点から応えたい。

1 【原理的・合理的判断】
 まず「原理的」には、平和の種々の問題を主体があって客体を認識する「個体論」で認識するのではなく、主体と客体は事後的に構成されるという「関係論」でとらえるべきと提示する。例えば尖閣問題、個体論では「中国対日本」だけの関係であり、固有の領土を歴史的に検証して相手を説得、圧力をかけるしかなく、最終的には相手を屈服させるしかない。関係論は、「日中」、「中台」、「台日」、あるいはアメリカとの関係など、複数の関係を視野に入れ、問題がどうやって構成されてきたかを調べ、相互の関係と認識を変えることによって解決を図るという方法である。本教の「あいよかけよ」の精神に繋がる。

 自分たちを守るためにやむなく戦う自衛の論理はまさに個体論。関係論では、備えるのではなくて敵を作らないこと、友達を増やすことである。この関係論は以下の二つから、ただ単に相手の意見を聞き置くといった悪しき相対主義ではない。
1 「自分たちは正しい。悪いのは奴らだ」と一方的に思わない態度が絶対的に正しい。
2 カントは世の中に絶対に正しいことが一つあるという。それは人間を手段として扱わないこと。命の手段化をしないこと。全ての人間を尊重するということである。

 もう一つ歴史の教訓とすべきは、必ず国家権力は暴走し、マスコミは煽り、国民は熱狂するものと考えておいた方がよいということ。人は不安や恐怖に弱い。そして集団化して正義や大義に酔いやすい。戦争はこの熱狂から始まり、平和を願う心が戦争を誘引してしまうこともある。指導者やメディアは国民の期待に応えようと暴走する。一旦戦端が開かれると恨みと憎悪が反復しながら報復の連鎖が続き、戦争が終わらない。全ての戦争は自衛の意識から始まり、報復の連鎖へと繋がってきたことをよくよく教訓として、この事実を示していかなければならない。

 また現在、相争ってはいるが平和への努力も実ってきているのもまた事実。米国認知科学者スティーブン・ピンカーは『暴力の人類史』で、人類は有史以来暴力を減らし続けており、今が一番平和という。人類史における暴力減少の要因を、他者への共感や配慮に根ざした思考や行動に次第に重きが置かれたことにあるという。文化の進化であり、これを「文明化」という。愛国心を煽り、軍事力に頼るあり方は前文明、反文明で時代の逆行。人類文化のもう一段の進化が望まれる。文明化の先頭に立ち平和ブランドに誇りを持ち、世界からリスペクトされる日本が期待されているのだ。

 次に合理的には、世界が平和であるならば、年間9兆ドルの経済効果があり、戦争は巨額の経済損失を生む。戦争で儲かっているのは一部の国際金融資本家だけである。来年度予算の防衛省概算要求額は5兆911億円。イージス艦一艦で1500億円。オスプレイ12機で1321億円。船一隻と飛行機12機だけでスカイツリーが4本も立つのだ。平和利用すればどれだけ有効か推して知るべしである。

 また、戦争に備える方がよりリスクや危険、社会の不安定を生み出す。武器輸出三原則が防衛装備移転三原則と言い換えられ、このままでは戦争なしでは経済が持たない国になる。佐世保市の予算は50%以上が軍事関連。これが国家規模へとなる恐れもある。

 さらに「勢力均衡・バランス・オブ・パワー」という抑止力は、安全保障のジレンマを生み出す。例えば、ウクライナ問題でロシアが踏みとどまっている理由は、国際的に孤立して経済に支障が出ることなのだ。国際世論こそ最大の抑止力である。

2 【平和的手段】
 以下の複数の非暴力、平和的オプションがあり、平和的に解決していくことこそ日本の役割である。

◆国家の安全保障⇒「人間の安全保障」「共通の安全保障」「協同安全保障」
安全保障を人間に視点を当てて、平和的に解決していく。
・テロ、犯罪、人権侵害、貧困、飢餓、感染症、環境破壊、災害といった脅威を取り除き、人々が安心して生活ができる保証
◆安全保障=セキュリティ⇒ケアする社会へ ケアリング・ソサイティ
◆ハードパワーではないソフトパワー 漫画やアニメ 文化交流
◆元国連難民高等弁務官緒方貞子氏ら「難民救済」。伊勢崎賢治氏の「武装解除」
◆非暴力服従⇒非暴力抵抗 市民的防衛 ナチスに対してのデンマークやノルウェー。
◆「平和教育」
 戦争を語り継ぐのではあるが、その「戦争の記憶」が「記憶の戦争」となる恐れがある。日本は戦争そのものが絶対悪とみる。ゆえに戦う主体によって戦争が正しくなるはずもなく、反戦の倫理⇒平和主義⇒戦争の放棄と武器の追放に向かう。 
 しかし、特にアメリカはホロコーストという絶対悪を前にしたときに、その悪に踏みにじられる犠牲者を見殺しにせず、立ち立ち上がらなければならないとなる。正戦の倫理⇒現実主義⇒暴力を放置した責任となる。

 このように戦争の記憶の仕方にも違いがあることを認識した上で、そうとしてもなお例えば原子爆弾投下や先のイラク戦争を正当化することはできない。加害の正当化は結局「自分たちは正しい。悪いのは奴らだ」という論理を乗り越えられない。加害の歴史を隠そうとするのは問題外である。これを乗り越えるためには加害、被害を乗り越えて歴史を共有していくしかない。それには例えばドイツとフランス、ドイツとポーランドの間で作り上げられた共通の歴史教科書を評価したい。日本においても韓国と中国との歴史の共有は絶対に不可能ではないと思う。 

 もう一つ先日平和集会で「戦争死者慰霊祭」を執行したが、その意義について、戦争死者は時間的にも空間的にも自分とは遠い存在である三人称の死である。その無関心の死へどう関与していくか。一人称の死は経験できいないが、ひょっとしたら自分がそうなったかもしれないという実存的不安の思いが一人称的死への思いとなり、他人事ではなく、我が事として受けとめていくということになる。そしてその当時、その時代の人の味わった苛酷な状況にわが身をひたして、自分だったらどうすると考える。そして死者が生者に静かに語りかけていることに耳を澄ませ、その声なき声を聞かせて頂く。その死者への思いが霊と感応、接続、共鳴し、不条理な死に至らしめた原因の追求など問題解決への行動へと奮い立たせられる。宗教学でいう「シズメ」の機能と「フルイ」の機能である。
 その意味で御霊様と共に神様に平和を願うという、御霊様との交流が私たち生者の生き方の方向を示してくれる「慰霊祭」が求められているのではないかと思う。
 ただ、一人称的の死の扱いは、生者が恣意的に死者を利用するということになりかねず、霊様との適切な距離をとりつつ、生者と死者が共鳴して新たな生者として現在の社会に位置づける必要があることは留意しなければならない。

3 【信仰に基づく平和の必要性】 法、倫理、道徳を真に規範たらしめる信仰。
 法という規範が守られるには、脅したり制裁だけでは機能しない。規範は脅し以上に個々人にモラルとして内面化されなければ機能しない。そこに信仰の必要性がある。
 倫理・道徳は、善悪、正邪を分けて「自らは正しい。相手が間違っている」と正義を振りかざし、自らを正当化する道具となる。これを乗り越えるのが金光大神の信心である。
(つづく)

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