新潟地震ボランティア活動に参加。 終
2日目は自衛隊のテントにボランティアも宿泊できるということを昨日ボランティアに入っていた方に聞いたので朝一に見に行くことにした。ホームページや電話での問い合わせでは教えてもらえなかった情報である。
現地に行くと50人くらいはゆうに寝れるのであろう大テントが二張りある。1つは被災者の方用ということ。しかし、なぜあらかじめ教えてくれないかは分からない。自衛隊の管轄なので何か理由があるのであろう。聞かなければと思いながらその後の作業に一杯一杯になり失念してしまった。
ボラセンにその日は9時過ぎについたので、すでに多くのボランティアの方が集結し、騒々しい。初めての時は1番から、今日は2番の窓口からスタート。行くとすぐにまた田林先生はどこかに連れて行かれたと思うやいなや私たちにもすぐに声がかかり、ニーズ標を渡され、もう1人の若いボランティアの男性と3人で現地に向かった。
そのお宅は小千谷市の中心にある商店街の一角で、一番表にお店を構え、真ん中に生活場所とその奥にお店関係の作業場がある3つの構造からなるお宅であった。前にも書いたが、表から見ると大したことのないように見えるが、奥へ行くほど被害がひどい。病気療養中のご主人を持つ60代後半に入る奥様は、地震当日2階に寝ていた主人を助け出すのに3時間もかかり、夜10時まで家の中で格闘していたそうだ。
一回にいた奥様は何がなんだか分からないまま、ただただ夫を助けようと2階に行こうとするがもちろん灯りはなく、真っ暗闇。血だらけになって2階にあがり、仏壇やタンスの下敷きになっているご主人を助け出したそうだ。柱や廊下には生々しい血痕が残り、これがすべて私の血と説明してくれた。地震後は2階にあがるのがこわく、今でもあがってくると気分が悪くなるそうだ。
もし、夫の横で寝ていたら確実に仏壇の下敷きになっていていのちがなかったという。夫もちょうど仏壇とタンスの間に寝ており、まさに奇跡だった。しかし、このような恐怖体験はちょっとやそっとでは忘れられないであろう。前にも書いたようにまだまだ興奮がおさまらず、作業の間中ずっとお話をされていた。
これから雪に向かうことや今後のお仕事、生活のことを考えると不安で一杯であろう。こうした微々たる手伝いしかできず、何もできない自分ではあるが、改めてきめ細やかな行政や地域での助け合い、そして息の長いボランティアの必要性を痛感した。何とか元気でがんばって頂きたいと祈るばかりである。(おわり)
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