Home > 5月 13th, 2013

改憲問題に思う。

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 安部総理は改憲を目指し、憲法改正の発議要件を定めた96条の改正に賛成する与野党の勢力結集を目指す考えを強調しています。現在の政治状況からいくといよいよ改憲は時間の問題です。

 そこで改めて私の考えを示しておきたいと思います。改憲問題には人権や自由の制限、また新しい人権等々、個人と国家、個人と公の関係の問題など諸々ある中で、ここでは9条1本、平和と戦争の問題に絞ります。

 日本国民のほとんどは平和は大切で戦争は反対だと思います。ヘーゲルのような戦争必要論者もいるかもしれないので「ほとんど」と言いましたが、真に好戦的な人はいないと思います。

 「戦争はダメ」。日本ではここまでは保守もリベラルも、右も左も、タカ派もハト派も、現実主義者も理想主義者もそうと思います。かの有名な「正戦論」も、戦争を肯定しているのではなく、戦争をより正しいものと不正なものとに選り分けて、戦争を防ぐ論ですから。

 戦争はダメ、ここまでは同じだと思います。では、どこから分かれるのでしょうか。一言で言えば、「武力なき武力抑止は可能か?」この1点であります。

 つまり、戦争をどうなくすか、どう平和を実現するかで意見が分かれます。平和主義者はあくまでも平和的手段をもって平和の実現を目指すため護憲を主張します。これに対し改憲論者は、武力によって平和を達成しようとします。非軍事か軍事かで分かれます。

 現在の国際情勢、日本周辺では虎視眈々と権益をねらっている国々やミサイルをぶっ放している国が存在します。世界ではテロが頻発、治まる気配もありません。誰が見ても非軍事は夢物語といわれても仕方がないでしょう。バランス・オブ・パワー(勢力均衡)による平和維持も理解できます。

 だからこその自衛隊であります。その最大の特色である専守防衛は、相手に撃たしてから撃つ「ガンマンの正義」にも通じます。あの格好良さは私は好きです。いや本筋から外れました。失礼。自衛隊は立派な軍隊だと言われていますように実力はあります。軍隊と自衛隊は違いますが、国防は十分可能だと思います。

 それでは「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」との条文は現実と乖離している問題はどうなのかと問われます。皆さん普通に考えてみてください。憲法は法律、規範であります。現実に実現していないからこそ規範です。実際に差別があるからこそ、憲法第14条があります。現実に殺人が起きているから、法律が「殺人をしてもいい」とはまさかならないでしょう。

 もう一つ憲法学者の長谷部恭男氏は、憲法には「準則」(ある問題に対する答えを一義的に定める規範)と「原理」(答えをある特定の方向へと導く力として働くにとどまる規範)があるとし、9条は原理であり、向かうべき方向性を示していると仰ってます。

 戦争を抑止するために武力が必要としている皆さんも、もし武力によらず平和が実現できたらそれに越したことはないと考えていると思います。違うでしょうか。今は無理であるとしても、近い将来実現する可能性は十分にあると私は思います。

 だからこその憲法9条であり、軍隊とは違う自衛隊なのであります。その自衛隊も極力武力を使用しないサンダーバード的な組織にだんだんになって行けばいいと願っているのです。それが向かうべき方向性です。今でいう軍隊化は方向性が真逆なのではと思うのが私の意見であります。

 「国柄」も大事でしょう。「アメリカ・自由」、「フランス・人権」、「ドイツ・環境」、「中国・平等」等々あるでしょう。道義国家もいいでしょうが、私は日本の国柄は聖徳太子の17条憲法以来、「和を以て貴しと為す」平和だと確信しています。平和道義国家でどうでしょう。

 で、改憲論者の皆さまにも、護憲派の人々を端から「空想的平和主義は通用しない」と言うのではなく、また護憲派の皆さまも改憲派の人々を端から「好戦的戦争主義」だと今にでも戦争を始めるような主張だけをするのではなく、互いに議論を深めてほしいと思います。

 私の立場としては長々と申し述べてきたように、軍隊でなく自衛隊の線で十分に国防は可能であり、国際貢献も平和国家日本としてのできることをもうどこの国にも負けないくらい貢献すれば世界も理解してくれるのではと思っています。

 逆に軍隊にする方が他国に脅威を与え、いわゆる「安全保障のジレンマ」に陥り、より攻められたり、戦争に巻き込まれる危険性が増すと思っています。「自衛隊はれっきとした軍隊だから国防軍」にとか、「外国では軍隊と見ているから」という理由だけで軍隊ではあまりにも安易すぎると思います。平和実現のために、是非よい知恵をお貸しください。