Home > 7月 4th, 2013

自身の信心を確かめる 1 反省と改まりから

 先日ご本部で、私が東京学生寮に赴任して数年頃の寮生や、青年会のメンバーだった何人かの方と偶然の出会いがあった。もう20年近くも前になる。その方の1人が「まだ自立的自由人を説いてますか。あの頃を本当に思い出します」と話しかけてきてくれた。

 その後もぼちぼち話してはきたが、聞かれてみると、よく話した代と途中あまり話さなかった代がある。そういえばここのところはあまり話していない。多くの寮生に話す場は月例祭後しかなく、青年教師の教話研修の場となったり、寮運営委員の先生方も増え、私自身が寮生全員の前で話す機会が減ったこともある。が、ついつい同じ話ばかりではつまらないだろう、と考えしまったことが実は大きい。

 そんなある日、東京センターで常盤台教会の三宅道人先生からすばらしいお話を承った。曰く、玉水教会の湯川正夫先生は、一字一句違わない話を何度もするそうだ。私は大きな教会だから聞いている信者さんが違うからだと思ったが、違う。「意識的に」である。

 聞いている方が、「また同じ話か」と聞くのと「また違った意味」として聞くのでは全然違う。人間の心は日々変化する。受け取り方で違ってくるのだ。つまりは、先生は信者さんの信心の成長を願って、同じ話をされているということである。

 何とも私は恥ずかしい限りであった。ましてや学生寮は毎年必ず新しい人が来るのだ。これは重々反省し、改まらなければならない。そこで改めて自分自身の信心を確かめつつ、またここから伝える努力をしていきたいと願っている。(つづく)