Home > 7月 16th, 2013

自身の信心を確かめる 5 「三つのお」 お互いさま

次に「お互いさま」。これも日本が世界に誇る1つの生き方だと思う。「困ったときはお互いさま」の意味は、互いを支えあうこと。類語としては、持ちつ持たれつ、 助け合い ・ 相互扶助 ・ 相互依存 ・ 共存 ・ 共存共栄 ・ 相利共生 ・ ギブアンドテイク ・ 協力する ・ 助け合う ・ 支えあう ・ 互助、等々。まさに「あいよかけよ」の精神につながる。

 つまりは、人を助けようとするときに、どうしても上から目線になりがちである。こちら側にその意識はなくても、相手にそう思われることもあるし、無意識に上から目線になってしまうこともよくある。「お互いさま」とは、互いに立場は違うけれども、だからこそ共に助け合うという精神が大事ということ。これが根本。

 もうこれだけでいいのだが、視点を変えて現代人の行動規範の問題として1つ考えてみたい。私たちは誰かに迷惑をかけられた時は腹が立つと思う。けど、よくよく考えてみると、自分自身も他人に迷惑をかけたことがないとはいえない。いや、生きていれば必ず迷惑をかけているに違いない。これも世の中、持ちつ持たれつ、迷惑をかけられたときもお互いさまなのだ。

 ところが現代の自由主義社会の唯一の倫理規範となっている「黄金律」に問題があると感じている。それは「あなたにとって好ましくないことは、他人に対してするな」という太古の昔からある規範である。憲法における「『公共の福祉に反しない限り』は自由を認める」のもこの規範である。

 これがいとも簡単に「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」となってしまう。若者がよく言う「迷惑をかけてないんだから何をやっても勝手でしょ」という態度である。だから、自分自身が好ましくないと思わない、迷惑とは思わないことは人にしてもいいとなる。電車の中の化粧や援助交際は、誰にも迷惑をかけてないから問題ないという論理。やはりこれはおかしい。

 日本では小さい頃から「人に迷惑をかけてはならない」と教えられる。もちろんその通りではあるが、その迷惑は誰が決めるのかである。インドでは、小学生の頃から人は人に迷惑をかけ、また人は人にお世話になるのだから、だからこそ迷惑をかけたときは素直に詫び、お世話になったときはお礼をしなさいと教えるそうだ。

 インドの教え方のほうがお道の信心に近いと思う。私は私だけで存在しているのではなく、他との関係の中で存在できる。ゆえに、上から目線ではない「お互いさま」の精神が非常に大切だと思う。「あいよかけよ」への一歩と考えている。(つづく)