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自身の信心を確かめる 3 「自立的自由人」の本義

 さて、まず「自立的自由人」という言い方、これは誤解されやすい。自立も自由も手垢がついた言葉であり、自由人はよい意味でも悪い意味でも使われる。親や周囲の人に世話にならないことを自立と考えたり、自分の思い通りになることが自由と勘違いしている人が多い。

 そこで、必ず「信心に基づく」ということを特に強調しながら理解を求めている。逆説的だが、自立も自由も自分ではどうすることもできないと、しっかり自覚できた後に初めて獲得できるものだと思う。それにはどうしても信心が必要ということだ。

 人間は必ず他の方のお世話にならなければ生きていけない。つまり、人間は「独りではないから一人になれる」こと。幼い時のことを思い出してほしい。後ろにお母さんがいたから、安心して自由に自分自身で未知の世界に歩いて行くことができた。

 大空や大海原を自由に航行するには港がいる。航空母艦や母港と呼ぶのはそのことだと思う。ところが、いつの間にか大人になってしまうと自立して自分で自由に何でもできると勘違いしてしまう。

 「わが身がわが自由にならないものである」と教祖様が仰るように、いよいよのところは自分のことでさえ自分では自由にはならないのだ。心臓を止めたり動かしたりは決して自分ではできない。このことを悟ったときに初めて真の自立、真の自由を得た自立的自由人になれる。

 だから、「自立」の反対語は「依存」ではなく「孤立」である。そして自由の反対語は、「不自由」や「規範」ではなく「放埒」である。

 また「自由・自立」の反対概念は、「抑圧」「差別」「排除」「疎外」「妥協」「逃避」「放縦」「放棄」等々であり、これに対抗していくことが真に自立した自由な生き方であると考えている。(つづく)