東京学生寮1月月例祭
1月の月例祭では、私が祭典奉仕、教話をさせて頂いた。教話の要旨は次の通り。
「今年の私の年賀状に、『金光大神の信心に基づく自立的自由人の道の道たる道』と題して、次の文章を書かせて頂き、その道をたしに踏んでいきたい願いを表明させて頂いた。
御取次を頂き、
神様のみ心のままに、
神様の願いに生き、
すべてを神様にすべてに神様を現し、
お蔭さま、
お互いさまで
お先にどうぞ
の三つの「お」の精神で、
自分の思い通りではなく、
本然のいのちが承服する
願い通りのおかげが頂ける道である。
この内容については、もう何度も聞いている方もおり、まだ聞いてない方もおられるが、一つひとつ説明すると何時間もかかるので、神様の頂き方の極意というかコツみたいなことをお話して、後はまたの機会か、また文章にでもしたいと思う。
昨年は寮生の皆さまには気仙沼でのボランティアで何度も活躍頂き、また秋のご本部参拝の折りには広島の原爆ドーム・資料館を見学、広島南教会の神田照家先生のお話も承った。
私は難儀の現場に身をおく意義について、それは一言で言うと犠牲になられた方々の「声なき声を聞かせて頂く」ことと考えている。生きたくても命を奪われた方々は一体何を話したかったか、また御霊となって今現在何を私たちに話したいか、その声なき声に耳を傾け、語りかけてくる言葉を聞かせて頂く。
そして、私たち一人ひとりはそこから学ばせて頂き、教訓を次世代に伝えていく使命があると思う。往々にして時が過ぎるといつしか何事もなかったように過ごしてしまう。私の地元和歌山県那智勝浦町にも1946年に昭和の南海大地震が襲っている。その時の教訓から二重に堤防が建設された。私が小学校の頃は、地名代わりに目印として「二重堤防」とよく呼んでいたし、お年寄りから津波の話をよく聞いていた。
ところが、たかだか65年しか経てないのにその教訓も忘れ、堤防と堤防の間には民家が建ち並び、陸側の堤防は全く見えなくなってしまっている。南海地震は過去1,000年余りの地震活動の記録が残されている世界的にも例をみない地震。100年周期で13回も起きており、あと50年までにはほぼ確実に起きると言われているにもかかわらずである。私たちは起きたことの事実をしっかりと目に焼き付け、声なき声に耳を傾け、そして教訓として次世代に伝える使命というか、それ以上に責任、責務があると思う」。(つづく)