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第31回 沖縄遺骨収集奉仕参加 完 2004年2月

8 きれいになる沖縄

 私たちは、こうして2日間の遺骨収集で大切な経験をさせて頂いた。それから前にも述べたが、私たちは事前勉強のため、本番前日の朝1に沖縄に入り、ひめゆりの塔、平和資料館などをまわった。そして平和の礎の後、豊見城(とみぐすく)の海軍司令部壕跡に行くか南風原(はえばる)陸軍病院跡に行くか迷っていた。

 実はインターネット情報では、南風原陸軍病院壕跡は、普通の観光客は近寄らないので見つけるのは難しいとあった。地図を調べても何やらわけかがわからない。まあ、とりあえず行ってみて、見つからない場合は、南風原文化センターをまわってから帰ろうということにした。レンタカーにはカーナビがついている。何と陸軍病院跡との表示が画面地図上に現れた。そこには1本の細い道がついていた。

 私たちは本線をはずれて、カーナビ頼りに戻れなかったらどうしようというような狭い道を進んだ。すると左手に「20壕入り口」とか「24壕跡入り口」という白い看板が見えた。車を止めてよく見ると、上の写真にあるように工事中の看板の横に消えかかった文字で「南風原陸軍病院跡」との朽ちた看板があった。そこから壕を目指して入っていったが、明日からの行動を暗示していたかのように山の中を迷ってしまった。一旦引き返し、大がかりな造成工事をしている方に、まさかこっちではないと思いながら行ってみると、そこに24壕跡が現れた(写真右)。

 入り口は金網で塞がれて中には入れない。そして私たちが入ってきた逆側からはもうすぐその目の前にきれいな歩道がつけられている。その向こうは野球場や公園になっており、すっきりと整備されていた。おそらくこのあたり一体もそうしてきれいになっていくのであろう。それはそれでいいことではあるけれども、まさかそのことによって過去の負の歴史を隠そうとしたり、水に流そうといった意図はないであろう。もし少しでもあれば、またぞろ同じ過ちを繰り返すのは必定だ。

 汚い部分、負の部分をできるだけ隠そうとする現代文明によって、人間の生き力、創造力、想像力が衰退、退化してきているとの指摘もある。きれいに整備されることによって、ますます想像力をきかすことが困難になるであろう。だからこそ今後も私たちは、汚い、恐ろしい、おぞましい負の部分から目を背けることなく、そこを直視しながら戦争の現実を次世代に伝える責任を痛感した沖縄体験であった。(完)

 とりあえず体験記はここで終わり、後数回予告していた沖縄戦について思うところを書いていきます。 

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