山川の別れ道
これも林雅信先生から教えてもらった話である。昨年の「思うがままに・沖縄体験記2」(2003.10.2)に後ほど触れるといいながら触れてなかった「山川のわかれ」と言い伝えられてる沖縄県民の生死を分けた道の話だ。那覇市から南に少し下ったところに、山川という今は立派な交差点になっているところにその出来事がおこった。
沖縄戦当時、首里城攻防戦に失敗した日本軍が、徴用した民間人と共に南下中のことである。山川という場所にさしかかった時、軍隊と共に糸満市の摩文仁へと右の道を行った人々は多くの犠牲者を出し、ほとんど全滅。左に知念半島の方へ向かった人々は、全員が助かった。山川はまさに生死の分かれ道であった。
軍隊に徴用された人々は、当然強制的に軍と共に行動しなければならなかったであろう。しかし、先に疎開していた人々は、やはり軍隊や大勢の人がいる方へ付いていく方が心強く、安心であったろう。だから多くの人々は右へと進路をとったと思う。しかし、結果的には軍隊がいる方が地獄をみた。
軍隊は本当に私たちを守ってくれるのか。20世紀の歴史を見ると戦争で亡くなった2億の人々の中で自国の軍隊に殺された方が圧倒的に多いという見方もある。ナチスドイツやスターリン時代、2次大戦以降のフィリピンやインドネシアの軍隊は自国民しか殺していない。
沖縄戦もまさにそうであった。波平部落などの壕にいた地元住民が日本兵によって追い出され、多数の死傷者を出した。あの「ひめゆり学徒隊」は、全く武器を持たされていないのに「ひめゆり部隊」と称され、県民を守らなければならない兵隊を逆に守って、そして219人もの女子学生が死んだのだ。これほどの教訓はない。
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