マスクのお裾分け

寮に住む中国の留学生の方に、実家から送られてきた貴重なマスクをいただきました。3月の1ヶ月間、辻井栄里主事が寮生たちの体力を心配して、毎夕ご飯とお味噌汁を提供しましたが、そのお返しに、「少しですがお裾わ分」とくださいました。下の青いマスクは医療用で、もし万が一寮生に感染者が出たら使ってくださいとのことでした。

3月22日付けの「『金光新聞』SDGs金光教3」の欄で「一つの家族のような雰囲気」と書かせて頂いた通りで、本当にうれしく感動しました。国と国との関係もこうあればいいのですが、現実は悲しいことです。

寮送別会中止

色々とあり、かなり更新が遅れましたことすみませんでした。
今年度の卒寮予定の日本人寮生が事情で残るということもあり、留学生の皆様には申し訳なかったのですが、送別会、コロナウィルスの影響で中止いたしました。

現状も収束に向かっているとは言えず、4月18日に予定されている開寮記念祭も悩ましいところであります。入学式や授業開始日が決まってない大学も多く、その動向を見ながら決めたいと考えています。

皆様方もどうぞ御身お大切に、ここからのご活躍をお祈り申し上げます。コロナウィルスもどうぞ終息いたしますよう。

寮祭

2019年10月27日日曜日終日、東京学生寮前庭及び集会室において寮祭を開催しました。

ここのところの数年は、福島から避難してきた皆様との交流フェスティバルの運営ボランティアに参加してきましたが、屋外での集会は昨年でなくなったことから、通常の一から企画する寮祭に戻りました。

今年の寮祭はバーベキューとゲーム大会でした。かなりの寒さのため、開始時間、プログラムの入れ替え等ハプニングがあったが、楽しいひとときとなり、交流をさらに深めました。

 

 

 

 

 

 

10月、11月月例祭・食事会 12月月例祭・講演会 1月月例祭・食事会 

誠に申し訳ないことに更新がかなり遅れました。まとめての投稿となります。

10月、11月は私が祭主で、教話は「神様のものさし」の持ち方についてお話ししました。12月はキャリアコンサルタントで五十鈴川教会在籍信徒で、教団会議員の中谷智美氏を講師に迎え、講演会を開催しました。就職活動に向かうに当たって、「棚卸し」と呼ばれている自己分析の方法について具体的にご教示頂き、大いに参考になったようでした。

2020年の最初の月例祭は運営委員で、上北沢教会長中畑吉子先生ご祭主に仕えられ、教話を頂いた。教話では、ご自身の大病の経験から、病気になったとき、「なぜ自分だけがこんな苦しい目に合うんだ」という後ろ向きの考えではなく、「病気を通して成長させて頂いた」という前向きな感謝の心を持てるのが、お道の信心であり、そのあり方が真実の生き方、本当の幸せに繋がるとのお話があった。

食事会ではそれぞれ写真のように腕を振るつて頂き、講演会懇親会では、超寒い中恒例の焼き鳥を中畑健一氏に焼いて頂いた。今年もみんな大喜びでした。

10月

 

 

 

11月

 

 

 

12月 講演会

 

 

 

 

1月

 

 

東京学生寮9月の月例祭・食事会

東京学生寮9月の月例祭が、辻井寮監を祭主に仕えられ、その後教話(後掲)、食事会を開催した。食事会は女性日本人学生と中国からの留学生の2人、「肉じゃが」、「麻婆豆腐」とキュウリ、トマトのそれぞれの料理等であった。

また、この日先日ボクシングでデビューしたD君に、激励の寄せ書きTシャツをプレゼント、次回の必勝を誓っていた。

 

 

 

 

教話
「人間のものさし」は目盛りがある。ゆえにそこに「長・短」、「大・小」、「上・下」、「優・劣」など価値が生まれる。するとその価値を比べて悩み、不平、不満、愚痴、不足、妬み、そねみの心を持ってしまい、役に立たないものは差別したり、排除してしまう。

「神様のものさし」は目盛りがない。測りようがない。だから測れない。つまり比べないこと。神様のものさしで計るということは、比べずに全ての存在を大切にすること。だからこそ測らない。目盛りがないから比べようがない。

「見えない世界を知らない現代の不幸」
もちろん人間のものさしも必要で、これがないと世界は成り立たない。しかし、この世界は目に見える世界ばかりではなくて、目に見えない世界でも成り立っている。

特に現代社会は目に見えるところだけを見て、人間のものさしで計り、計算し、すべて自分でコントロールできると過信したところに様々な歪みが生じている。

そして見える世界の価値を比べることからあらゆる不幸が始まり、ことに現代人の悩みの全てが人間関係にあると言われ、あらゆる不幸は人と比べることから始まっている。

「神様のものさし」=比べることでしか得られない相対の幸せではなくて、絶対安心の幸せが得られる魔法のものさし。

「神様のものさしを持つ方法⇒見方を変える」
1 思い込み、固定観念を解くために常識を疑う。目に見えない世界は疑うのに、目に見える世界は疑わない。これは逆。目に見える世界を疑い、目に見えない世界は疑わない。
2 視点をずらす。時間、場所、空間。
3 複眼的に見る。逆も真なり。

以上、いつも申している以上の諸点についてお話しし、神様のものさしではかる、はかり方の最大のものは、諸事起こってくる出来事に当たり前はない、「当たり前のことが当たり前ではない」と捉えること、

そのことについて、台風15号の千葉県での被害について、少しこちら側にずれていたら、小金井もかなり被害が出ていた。他人事ではないこと、

また、その日ナゴヤドームのデーゲームの野球観戦に行っていた娘が、夕方その日最期となる新幹線にギリギリ乗れたこと、

寮生の友人と行っていたことから、一人暮らししている娘が、私たちが勝浦教会の所用で留守にしている寮にその日だけ宿泊し、何とその夜中の2時30分頃、事務室にある火災報知器の警告音が強風の影響か誤報で鳴り響き、娘がいたおかげで何とか止める事ができたこと、

さらに、東日本大震災時に小金井市では夜二回あった計画停電についてお話しした。

そして、私たちが当たり前と思っていることは決して当たり前ではない。当たり前ではないから、そこに感謝の気持ちがわいてくる。当たり前のように点いている電気のように、私たちは失って見てはじめてそのありがたみが分かる。

しかし、普段は当たり前と思っているからそこに感謝の念は起こらないし、当然だと思っているので、停電になると感謝どころか、何でうちだけがこうなんだと他と比べて不平、不満、文句ばかり出てくる。これが人間のものさし。他人と比べて足りないところを責め合って、難儀になっている。

神様のものさしは、普段当たり前のことが当たり前でないと考えているから、つまり色んなことを比べるのではなくて、すべての事が大切、有り難いと思っているから、色んな不便なことが事が起こってきても、不平や不満が出ずに辛抱して絶える力を持つことができ、足りないところを責め合うのではなくて、足りないところを足し合って、助け、支え合って強く生きていくことができる。

それが人間のものさしによる相対的な幸せではなくて、神様のものさしによる本当の幸せ、絶対的な安心を得ることができるとお話しさせて頂いた。

東京学生寮8月月例祭・食事会

東京学生寮8月の月例祭が、田中美和子先生ご祭主のもとに仕えられ、後掲の教話を賜った。
その後、中国からの留学生3人の食事当番により、冷やし中華、ピーマンの肉詰め、手羽元のコーラ煮、キュウリの和え物、はまぐりと茄子のお吸い物等々盛りだくさんの料理を作って下さり、食事会を催した。超美味でした。感謝。

教話
金光教の信心に初めて触れるという方も何人かおられると思います。私が高校や大学の学生時代、教会に生まれ育っていながら、真剣に神様に向かうという姿勢はなかなかできていませんでした。神様はいつも身近かにおられて、守って下さっているということは感じていましたが、信心するという生活態度ではなかったです。友達の言動に納得できなかたり、自分の努力不足ではありますが、受験では思うような結果が出ず、第一志望の学校には合格できず残念な思いをしたりすることもありました。そういった自分の思いや望む事がうまくいかないとか、思うように事が進まないというような出来事を、信心で取り組むというようなことがその頃はできてなかったです。短大学生活を終えてしばらくした時にふと振り返ってみて、志望の短大にはいけなかったけれど、自宅近くの短大に通ったことで時間的な余裕もあり、アルバイトの経験もでき、友達にも恵まれた充実した二年間だったと思えるようになりました。

ここである中学生の作文を紹介させて頂きます。いつ頃のものかはわかりませんがたぶん5.60年以上前のものだと思います。原文を読むと長いので、私の言葉でまとめてお伝えしたいと思います。この主人公は中学3年生15歳の男の子で、高校受験をした時に、少年とその友人Aくんとの関係から学んだことを綴っています。担任の先生にすすめられて、Aくんと少年ははある私立の名門校を受験したんですね。先生から「君たちなら絶対に大丈夫だと思う」と太鼓判を押されて、両親も大変喜んでくれていたので、その期待を裏切ってはいけないと猛勉強をしたんです。ところがその入試でAくんは合格したけれども少年は落ちてしまったんですね。それまでの何回かの実力テストではいつも少年が一番でAくんがその次だったそうです。それなのに入試本番で自分が落ちてしまったんです。

その時に誰の顔も見たくない惨めな思いをして、部屋に閉じこもってしまったんです。両親は心配で、食事を部屋まで運んでくれたり優しい言葉をかけてくれるんですが、余計にそれがしゃくに障るんですね。布団の中にもぐっていると、母親が「いまA君が来て下さったよ」と言うんです。すると、「おかあさん、ぼくは誰の顔も見たくないんだ。特に世界中で一番見たくない顔があるんだ。だれか言わなくてもわかるだろう。帰ってもらってくれ」と言うんです。お母さんは「せっかく来て下さったのにお母さんにはそんなっことは言えないよ。あなた達の関係はちょっと間違えれば敵味方になってしまうような薄っぺらいものなの。いやなら話だけ聞いて、そっぽを向いていなさい」と言って部屋を出て行ったんです。二階に上がってくる足音が聞こえてきたんです。布団をかぶってる惨めな姿は見せたくないと思って、起き上がってみると、戸が開いてAくんが涙をいっぱいためてくしゃくしゃの顔で「ぼくだけ合格してしまってごめんね」とやっとそれだけ言うと、階段を駆け下りていったんです。

その時、少年は恥ずかしさで一杯になったんです。自分は思い上がっていたし、いつもAくんなんかに負けないぞとAくんを見下していたと気がついたんです。もし自分が合格してAくんが落ちたとしたら、Aくんのように「ぼくだけ合格してごめんね」と泣いて慰めにいっただろうか。自分ならざまあ見ろと余計に思い上がったに違いないし、自分なんか落ちるのが当然だとと気づくんです。もし合格していたらどんな恐ろしい独りよがりの思い上がった人間になってしまったことだろうと気がついて、自分は落ちるのが当然だった、落ちて良かったと思ったということです。本当の人間にするために、天がぼくを落としてくれたんだと思う。悲しいけどこの悲しみを大切にしよう。今まで思うようになることだけが幸せだと考えてきたけれど、Aくんのおかげで思うようにならないことのほうが人生にとって大事なことなんだと知った、という内容の作文です。15歳の少年の文章とは思えないです。これは金光教の信者さんではなくて、一般のかたの文章ですが、物事の受け取り方、考え方が金光教の教えによく似ていると思って紹介させて頂きました。

一般的に神社やお寺でお願いするというと、何事もなく健康で幸せに暮らせますようにとか、難を逃れたいということでお祓いをしてもらうとか、厄年になると厄除けを願うことをします。金光教では、厄年は一層お役に立つ年とらえて、人のお役に立てるようお願いをするんですね。信心していれば何事も問題は起きませんとは教えていないですね。生きていれば難儀にあうことはありますよとした上で、信心していれば神様が手伝って下さって、苦難を乗り越える力を神様が下さるんです。この少年は不合格の辛い経験から、自分の思い上がった生き方を改める事を教えてくれたと思いを転換することができたんです。金光教では思い分けと言いますが、それは簡単ではないです。少年は辛い事柄に出会ったけれど、そのマイナスの事柄を人生の上に生かすことができたんです。「思うようになることだけが幸せだと考えてきたが、思うようにならないことのほうが人生にとってもっと大事なことなんだと知った」という文章は金光教の信心に通じると感じます。困難に出会った時にどういう態度がとれるか、どういう心の持ち方ができるかを信心によって鍛えていくことが大切だと思います。

教祖様のみ教えに「難はみかげ」「わが心でわが身を救い助けよ」とあります。教祖様は度重なる苦難を乗り越えられ、その事柄を生きる力にして大勢の人を助けられました。教祖様が残されたたくさんのみ教えを普段の生活の中に生かしていくことが信心です。学校生活、健康、人間関係、今後の進路についてこれから乗り越えることがたくさんあると思います。問題に出遭った時に、これは神様からの課題だと思って、この問題を神様が一緒に乗り越えさせて下さると信じてくじけない生き方を心がけて頂きたいと思います。そのためには日頃から神様に心を向け、毎日お礼お願いをして、信心の稽古をして頂きたいと思います。

起きてくる問題や事柄を生かすということをお話しさせて頂きました。

 

 

 

東京学生寮7月月例祭・食事会

東京学生寮集会室において、辻井寮監祭主のもと、7月の月例祭が仕えられ、引き続いて金光教大崎教会主催のカンボジアボランティアに参加した前寮長井上道夫氏から報告があった。ボランティア内容とカンボジアの気候や食事、生活などの説明があり、感じたこととして、「当たり前のことが当たり前ではないこと、今あるもので充分ということ」、また、「『自分が』ではなくて、『自分と』であり、共に助け合って生きていくことの大切さ」を話された。

その後、食事会が開かれ、カンボジアボラティアを主催した大崎教会田中真人師からのコメントと補足を頂いた。田中先生からは、「初めての参加者にボランティアに行く前に『おめでとう』と言葉をかける。それは志した時点でもうすばらしい経験を踏むことは確実からである。志ある方は是非参加してほしい」と述べられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

東京学生寮6月の月例祭・食事会

6月1日、東京学生寮集会室において、松本佳子先生ご祭主による月例祭が仕えられ、引き続き教話(後掲)を賜り、その後食事会を開催した。このたびの食事会は、日本人3人によるローストチキン(コストコ)、キャベツの千切りとキムチを乗せたプルコギ丼とサラダ、留学生によるパエリア、コサージュと盛りだくさん。寮生みんな大喜びし、懇親を深めた。

 

教話
今日は、まず最初にひとつの和歌を紹介させていただきます。

「春風に似たる心を持ちたしと 吹く春風に吹かれつつ思ふ」

6月になって、もう春風の季節は過ぎてしまいましたけれど、この和歌は、私が子どもの頃に、教会の玄関にかかっていた日めくりカレンダーに書かれていたものです。

どなたが詠まれたものかと言いますと、今の教主金光様のお父様にあたる、四代金光様が詠まれた和歌です。

「春風に似たる心を持ちたしと 吹く春風に吹かれつつ思ふ」
この和歌に初めて出会ったのは、小学校高学年くらいの頃だったと思いますが、この和歌の明るい雰囲気に「なんかこのうた好きだな」と思ったのが最初です。

その後、毎月、この和歌のページがくると嬉しい気持ちになっていました。かと言って、この和歌のように「春風のような心」になることを心がけて行動する、ということはなかなかできなくて、親にはずいぶん反抗もしましたし、心配もかけました。

できるできないに関わらず、ずっと心の中にあって、何かの拍子にふっと心に浮かぶ、私にとってそんな存在の和歌です。

「春風のような心」とはどんな心かな、どんな人が春風みたいかなと考えると、私の夫の父の笑顔が思い浮かぶんです。

義父は、埼玉県浦和教会の三代教会長で、松本眞弘(まひろ)先生と言います。6年前に亡くなりましたが、浦和教会に参拝すると、いつもお広前にいらっしゃって、にこにこして「やぁ、よく来たね」と、とても温かい笑顔で迎えて下さっていました。

私は、今でもそうなんですが、何かとくよくよと思い悩むことが多く、そういう自分自身の心が助からなければ教会の御用にならないと思い、ある時先生にお取次ぎをいただきました。先生はだまってじっと聞いてくださり、こういうことを仰いました。

「まず起こってきたことを心静かに受けることだよ。じたばたしないでとにかく受けさせていただくこと。そうやって受ける稽古を積み重ねることで、自ら光を発するということができてくるんだよ」ということを仰ってくださいました。

困ったことや嫌なことが起こった時におろおろじたばたしないで心静かに受ける、なかなか難しいことですよね。それは今でもなかなかできません。

今から13年前のことです。長女が中学1年生の頃、いじめに遭っていました。相手は、他の小学校から来たA子さんで、最初は仲良くしていたんです。ある時、長女がお友達と好きな子を教えあったそうなんです。そのことをA子さんが知って「あの子の好きな子って誰?」って娘に聞いてきたんです。でもお互い「他の子には言わないでね」と約束していたので、娘は言わなかったんです。

そしたら、それからA子さんからいじめられるようになりました。睨んだり無視をしたりは当たり前、すれ違いざまに「死ね」とか「キモイんだよ」とか言ってきたり、カバンを蹴ったりしてきたそうです。その子だけならまだしも、それがきっかけになって、同じ小学校から入学して同じ部活に入り、学校の登下校も一緒にしていた3人のお友だちからも仲間はずれにされるようになってしまいました。

毎朝、部活の朝練で7時頃に家を出て、部活がすんで帰ってくるのは夜の7時半頃でしたが、家に帰ってくるまで「今ごろどうしてるだろうか」と心配でたまりませんでした。他の小学校から来た子からのいじめもつらいですが、同じ小学校から入学して、それまで仲良くしていた子達からの仲間はずれの方が更に辛いですよね。何を言っても無視をされるかはやしたてるようなことを言われていたようです。

そのことを娘から聞いて、親子で一緒に浦和教会にお参りしてお取次をいただいたり、学校から帰ってきたらお広前で長女の話を聞いたりして、一緒にご祈念をしました。そして、相手を責めないように、「どうぞお互いが立ち行きますように」と願っていました。

しかし、日が経つうちにこれはちょっとひどいなと思うことがだんだんと多くなってきたので、担任の先生に相談ました。そしたら「いじめなんかする方がバカなのよ。ほおっておけばそのうちやめるよ」と言って何の対応もしてくれませんでした。

娘もしばらくは「自分達で話し合って解決するから」とがんばっていましたが、泣いて帰ることも増えて、そのストレスからめまいと吐き気で立ち上がれないような状態になったこともありました。

それである時、そのうちの一人の子のお母さんに電話をして様子を聞いてみました。その時、相手のお母さんから言われたのは「しばらくは距離を置いたほうがいいかもね」という言葉でした。娘さんからは、うちの娘が悪いとしか聞いていないでしょうけど、私はその時突き放されたような気がしました。

でも、それ以上は、却ってこじれてしまうと思い、「そうですね。わかりました。ありがとうございました」と電話を切りましたが、「この方とはもう、この話をすることはないな」と悔しいと言うか、残念と言うかそういう思いでした。

その翌朝のことです。私には徳がないですから、私が神様にお願いするのではなく、御霊様におすがりして神様にお取次ぎを願うしかないと思いました。

私の信心の師匠である、大分県の豊前四日市という教会の前の教会長伊藤ツタヱ先生という先生の御霊様にお願いしました。

「親先生、日頃、親先生の御霊様に喜んでいただけるような信心もご用もできていないのに、こんな時ばかりお願いするなんて本当に勝手で申し訳ありません。でも、今娘がとても苦しんでいます。どうぞ、助けてください。どうぞ、娘のいのちが生き生きとできますように。お友達共々、立ち行きますように。どうぞ神様にお取次ぎお願い申し上げます」と、私自身には徳がないので、伊藤先生の御霊様のお徳におすがりして助けていただくしかないと必死でした。朝ご祈念でそうお願いさせていただいた後、用があってお使いに出ました。

その時に、後ろの方から「あれ?おはよう」と声が聞こえて振り返って見ると、前の日の夜に電話でお話をした相手の方でした。私は「もう話すことはない」と思っていたので、すぐ会うなんて本当にびっくりしました。お互いに朝の忙しい時間だったので、ゆっくりと話をしている時間はなかったのですが、それでも10分弱くらいはお話ができました。

話しをしたら、決してこちらを一方的に責めているのではなく、その方のお子さんも小学生の頃にひどいいじめにあっていたそうで、そのことは娘から聞いてはいましたが、その時の経験から、「ちょっと距離を置いたほうがいい」という言葉になったということがわかりました。

朝、御霊様にお願いして、その直後のことでした。

「相手を責めてはいけないよ」と御霊様が仰って下さっているようで、そういう御霊様のお働きをはっきりと見せていただいて本当にありがたくて、その夜、学校から帰ってきた娘に話して、改めて親子で御礼申しました。
その後、すぐに状況が変わったわけではありませんが、夏休みに入ったこともあって、部活はありましたが、それこそ少し距離をおくこともでき、だんだんとですが少しずつ落ち着いてきました。そして冬になる頃には何事もなかったかのようにお互い遊びに行ったり来たりするようになり、それから13年が経った今でも、その子達とは仲良くお付き合いをしています。

後になってから「よくあの時学校休まなかったね」と言ったら「一回休んだら次行けなくなると思ったから」と言っておりましたが、13歳の子どもなりに必死に乗り越えようとしていたんだなと胸が締め付けられるような思いでした。

教祖様のみ教えに「わが心でわが身を救い助けよ」という言葉があります。

同じひとつのできごとでも、Aさんから見たこととBさんから見たことでは全く違うことのように受け取られることがあります。そして受け取り方によっては、その後の展開が全く違ってくるわけです。

腹が立ったり、おろおろしたり、悲しんだり、辛いできごとであったり、そのことに心がとらわれてしまっている時は、とても苦しいですよね。

喜怒哀楽の感情というのは誰にでもあって、とても大切なものですが、ただ、それにとらわれて行動まで左右されてしまっているということでは、神様や御霊様は「ちょっと待って」と仰っているんではないかと思います。
そういう時には、神様や御霊様のお力をちょっとお借りするんです。自分ひとりではなかなか難しいので、ご縁のある教会の先生や、こちらで辻井先生に聞いていただくんです。

「今こんなことがあってこんな風に困っています」とか「腹が立っています」とか「迷っています」とか何でもいいんですが、それを金光教では「お取次をいただく」と言います。

お取次をいただくと、物事の見え方が少しずつ変わってきます。同じできごとの中にあっても、心が落ち着いてきます。お取次をいただいて、神様にご祈念をさせていただくことで、波立った心が少しずつ落ち着いてきます。

そしてまた目の前のことに向かうことができるようになります。

お取次をいただいて、心と体を整えて、生きる力をいただいていくのが金光教の信心です。
どうぞ日常の生活の中で、神様とお近づきになってください。

そして、神様にお喜びいただける社会のお役に立つことができますよう、祈念しております。

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