Home > 3月 12th, 2013

第40回沖縄遺骨収集奉仕に参加 4

 いよいよ遺骨収集一日目。見事な晴天。いつもながらのおかげをいただく。7時に朝食、7時30分ホテル出発、途中コンビニに寄り昼食弁当を購入する。これもゴーヤー弁当などなど沖縄しかないものがある。残念ながらこの日はゴーヤー弁当がなかった。残念。

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 沖縄県平和祈念公園の一角に設けられた本部テント前に集合する。懐かしい顔が続々と集まり、1年ぶりの再会に喜びの挨拶を交わす。何と今回は100人超えて、全国から104人もの方が集まった。

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 私はここのところ定着している1班の班長。今年の1班は、わがグループ8人と常連群馬県の土居先生兄弟、一般参加者の2名、そして機動班の大ベテランKさんの13名だ。班事に整列し、林先生先唱御祈念、ご挨拶をいただく。

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 その後班長が集められ、この時に初めて捜索場所が指定される。今回も昨年に引き続き摩文仁の丘の西端にある健児の塔から各班入るようだ。1班はその一番手前の「風部隊慰霊碑(中央航空路部隊〈風18918部隊〉、第五野戦航空修理廠第一分廠等)」から山になっているところに入る。一番上が断崖になっており、その向こう側を重点的にとの指示。

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 わが1班はいつも初参加者が多く、今年も5名いる。注意事項を聞いてもらい、みんなで記念写真。そして健児の塔付近まで歩いて移動、まずは、かつてお世話になっていたおみやげさん後のひろばで全員濱出先生から説明を聞く。その後5班までの各班が所定の位置へと移動する。

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 1班はそこからすぐのところ。早速にそれぞれ思い思いに山の中に分けはいる。この辺はもう何度も入っての場所なので、あまり動き回らず、一箇所場所を決めたら、丁寧に掘り起こして取り残しがないか探るのが重点的な作業となる。

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 程なくして、一般から初めての参加者の方が骨片を見つけられた。薄いさじのようなご遺骨でその方がその骨の名称を言われたのだが、今思い出せない。かなり医学的専門用語のような名前であったが、後から聞くとその方は何とお医者さんだそうで、なるほど詳しいはずだと感心した。

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 その後すぐにこれもまた初参加者の板東さんが細骨を数点収集された。昨年のわが娘や一昨年の吉永君もそうであったが、初参加者の方が結構すぐに発見する。午後近くなって、私の名前を呼ぶ声が聞こえる。よく聞くと全体機動班の中澤さんの声のようにも聞こえる。

 返事を返すのだが、声が小さいからか返答はない。10分ほど経て同班のもう1人の一般の参加者の方がやはり中澤さんが私を呼んでいると知らせてくれた。この方はもう何度か経験されていて、数日前から入って中澤さんと共に捜索して下さっている方である。

 ようよう下に降りていくと、どうも緊急事態のようである。確か大阪の高橋さんが私にパソコンを見せ、「このご遺骨は確か一昨年1班が収集したものですね」と聞いてこられた。確かにそれは一昨年寮生の吉永君が発見した立派な大腿骨二本だ。このご遺骨の収集場所を特定してほしいと県の職員の方と警察官2名が同行を求めているとのことであった。

 残念ながら吉永君は仕事で今年は参加していない。そこで私に行ってもらいたいとのこと。もちろん場所は覚えているが、断崖を降りて、その途中からはうる覚えでしかない。中澤さん、高橋さんも同行してくれるとのことで6人現場に向かうことになった。

 一昨年の捜索場所は、摩文仁から東の具志頭方向に結構離れた断崖の下。県の方の車で送ってもらう。その後に警察の車が着いてくる。公園墓地がある敷地内から断崖を降りていくが、2年経ているだけで木々は生い茂り、所々一昨年あった道はなくなっている。

 中澤さんが1番、私が2番、その後県の方、警察官2人、高橋さんの順で行くので、必死でついていく。自分のペースよりはかなり早いのだが手が抜けない。汗でだくだくになる。

 発見された場所は、下に降りきった海辺近くの大岩である。断崖を降りて今度は山道を歩いていく。そろそろ海岸に降りるのではと思うのだが違う。かなり記憶が曖昧だ。さすがに先頭の中澤さんは歴戦の勇士。ほとんど的確に覚えており誘導してくれた。

 パソコンの中にあった写真と全く同じ景色が現れた。すると年輩の警察官の方が「おうー」と叫んだ。何だ!と驚いたが、何と沖縄本島では絶滅したと言われる植物が海岸の岩に生息していたからだ。確か梅がつく名前だったが忘れてしまった。盆栽などに使われるそうだ。

 若い警察官の方が入念に現場写真を撮影し終わった。そして今度は帰りが大変。下ってきたところを今度は登る。元いた1班の作業現場に戻ると昼はとっくに過ぎた2時前であった。(つづく)