Home > 3月 17th, 2013

第40回沖縄遺骨収集奉仕に参加 6

 沖縄2日目の夕食は、恒例の牧志公設市場の2階にあるツバメ食堂。中華系沖縄人の料理で実に美味。ここは30数年沖縄遺骨収集に来ている大ベテランのお墨付き。連れてくる人連れてくる人感動する味なのだ。いつもホテルに一回戻って行くためにカメラを忘れる。

 1年に1回しか行かないが、店を切り盛りしているママさんとも顔見知りになり、上機嫌で迎えてくれる。大人気の店なので予約していても空いてないことが。今回も少し待ったが、これでいろいろとサービスしてくれるからまたありがたい。大阪組もいつも来ていると話をしていたら、いつの間にかとなりの席で食べており、ご挨拶する。

 さて、作業日第2日、朝今度は別のコンビニを探しながら摩文仁に向かう。ちょうどコンビニのトラックが停車しているのを発見し、恐らく今弁当を搬入したのではと思い、そこに立ち寄る。案の定多くの商品が積まれていた。いろいろ悩んだ末、結局昨日と同じ冷やし中華に目が行く。よく見ると沖縄限定と書いてあった。だからか、何か違うと感じたのも正解だったのだ。美味しいチャーシューもタレも沖縄特有のものだそう。2日連続同じものを購入した。

 2日目の作業は、午前中は沖縄県の宗教関係者や民間ボランティア、糸満市の職員等100人が参加したゴミの撤去作業に従事した。これは数十年前に私たち沖縄遺骨収集団が発見し、金光新聞の1面にも出たことがあるが、自分たちだけで手作業でゴミを片付け始めたのがはじめだ。

 そのゴミの下からご遺骨が発見された。何とも言いようがなかった。悪臭を放つグチャグチャのゴミの下にご遺骨が眠っていた、いや眠ることなどできないような状態の中に放置されていた。あまりの酷さに強い憤りを覚えた。悲しすぎるのである。

 そこから林先生の呼びかけで、まずは沖縄の宗教者の皆さまが立ち上がり、市民が動き、市も動き、6年前から開催されてきている。今年はどうしても本教の沖縄遺骨収集日と重なるということで前もって募集があり、私たち8人は予め参加すると伝えてあった。

 当日朝、他の一般参加の方もゴミ収集に参加くださり、また、機動班のKさんは自分ひとりだけ参加するものと思い込んでいたようで、「1班全員参加します」と言うと、目を丸くして驚かれ、喜ばれた。

 昨年9月にご縁を頂いて、林先生に寮で遺骨収集とこのゴミ問題についてDVDを見ながらお話をいただいており、寮生たちもその意をくみ取り積極的に参加してくれた。遺骨収集団全体では20数名がゴミ収集作業にあたった。

_MG_9808 (640x406)

 

_MG_9805 (640x427)

 

 作業の中心になっているのはブルーヘルメットの天理教さん。前の日から色んな道具を作業現場まで運んでいる。ゴミ現場の断崖の下から各種慰霊塔につながる石階段まで上げる重機も手作業で運んでいる。

 

_MG_9826 (640x417)

 

_MG_9824 (640x416)

 

 投棄場所は、生い茂った草木をかき分けて足場の悪い斜面6~7メートル下りた崖下。大量の空き瓶や空き缶のほかに腐食したビニールや弁当箱で埋め尽くされている。想像を絶する量だ。そこから引き上げる一本の重機以外は手作業で回収する。

 引き上げたゴミはある程度種類別にわけ、ゴミ収集車が待つ駐車場まで約200メートルの石階段の坂道に老若男女のボランティアが列を作り、バケツリレー。80歳を越えたご老人や子どもも一生懸命。さすが沖縄のご老人は本当に元気だ。

_MG_9819 (640x388)

 

_MG_9820 (640x414)

 

_MG_9818 (640x425)

 

 半日の作業で何と3トンのゴミを回収。しかし、6年前から作業している方によるとまだまだ何年、何十年もかかる量があるとのこと。是非とも県に動いてほしいと申請しているが山林は市の管轄と動いてくれないらしい。

 

_MG_9821 (640x426)

 

 摩文仁(まぶに)は、霊域であり平和の象徴の場である。林先生はいつも「摩文仁の語源はマブイで魂の意味がある」と仰います。その魂がゴミに覆われ穢されているのです。「これを放っておいて基地問題も何も解決しない、沖縄の真の助かりがない」と仰います。その通りだと思います。(つづく)