マスコミの自主規制

| コメント(0)

 9月20日付『東京新聞』の29面に「たね蒔きジャーナル打ち切り」と記事があった。これは2009年10月からスタートした毎日放送のラジオ報道番組で、原発事故後鋭い原発報道で話題となっていた番組。

ところが、突然の中止に。存続の声があちこちからわき起こり存続のための寄付金が1千万も集まったにもかかわらずの打ち切りで、その理由も示していない。「広告主の意向が反映したか」との問いに毎日放送は「ない」と答えているが、いかにもおかしい。

 東京センターで、いつもいい本があったよと本を貸してくれるO先生が、電通か博報堂の元社員の方が、広告代理店・マスコミ・広告主の関係を赤裸々に書いた本を紹介してくれた。ある程度は予想していたが、その癒着ぶりには驚いた。マスコミの自主規制は、本当のことが伝わらず、まるでそこには問題がなかったようになってしまう。これでは結果的に無関心層が増える。

 無関心は、現実に被害をこうむり、不安定な生活を余儀なくされている人々のことは、不特定多数の他人事となる。結局、度々指摘している「全体のためなら少数の犠牲はやむを得ない」というあり方を容認してしまう。もし、自分がその犠牲者の1人であったらという想像力を持てれば、無関心ではいられなくなる。1人ひとりの関心が、社会をよくしていく突破口となるのだ。

コメントする

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.27-ja

2012年9月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

このブログ記事について

このページは、つっさんが2012年9月23日 19:39に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「集団的自衛権」です。

次のブログ記事は「箸の持ち方」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カウンター

累計:
本日:
昨日: