絵門ゆう子さんのエッセイの思う
昨年の9月に当ホームページ掲示板で、芝教会115年記念「絵門ゆう子」講演会の様子を紹介させていただいた。その絵門ゆう子さんは、『朝日新聞』東京版に毎週木曜日「がんとゆっくり日記」というエッセイを連載されている。
絵門ゆう子さんの文章は、なんと表現していいか、何ともいえない魅力がある。がんと向き合っての人生は私なんかには想像も絶する悩みを抱えていることと思う。文章は淡々と楽しく書かれているようで、そこには何事も隠さない本音の心情も赤裸々に語られている。
その本物の言葉、文章にいやされ、励まされ、教えられ、元気をもらっている。3月3日付の「数秒の言葉で前向きになれる」とのタイトルのエッセイも、一言の言葉がいかに大事かが書かれいた。
「(前略)ものを書いたり、人前で話したりする時、説得力を持たせ、わかりやすい話にするため、どうしてもスタンスをどこかにはっきりと置くこと、『○○というものは・・・・』と物事を大まかな分類でくくることをしがちだといつも思う。その最たるものは、人を4種類に分けて盛り上がれる血液型談義じゃないかと思うが、医師は、患者は、西洋医学は、民間療法は・・・・と、何かを何かに所属させて話すとわかったような気になるからだ。しかし、それによって語れるのは、あくまで傾向であり、真実ではない(後略)」
まさにおっしゃるとおり。私も往々にしてというか、いつも物事を抽象化してわかったような気になっていた。もちろん抽象化の大事さも十分理解しているが、それはあくまでもすべての1人ひとりのところで起きている事実のために必要なことである。現実、現場にじっと座りきり、そこから目を背けず、逃げず、ごまかさず、そうしたスタンスを常にもちたいものである。