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非戦平和学習会発題概要 1

 先日開催されました「非戦平和学習会」での発題概要を5回に分けてご報告申し上げます。まずはレジメと最後は資料と参考、お勧め文献を掲載します。今後ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
 
非戦平和学習会発題レジメ     2015.9.10 辻井篤生 
1 はじめに
 宗教の社会性、公共性

2 羅針盤(金光大神の信心)を持つ
① 関心を持つ (無関心と思い込みが一番の問題)
② 今の論理で過去を切らない。
③ 立ち処を確認する。

キング牧師の言葉 「この変革の時代において、もっとも悲劇的であったのは、悪人たちの辛辣な言葉や暴力でなく、善人たちの恐ろしいまでの沈黙と無関心であった」

「無関心でいられても、無関係ではいられない」 

3 戦争(戦後)責任について
A「罪・過ちに近い責任」→「否応なしの責任」法律的道義的責任、本人の自覚関係ない。
B「義務・任務に近い責任」→「自らが選び取る責任」戦後世代が負う責任
 「私たち戦後世代には直接戦争責任はない。しかし、繰り返さない責任はある」

4 戦争観の変遷 
 聖戦論⇒正戦論(戦争の規制)⇒非戦論(経済的統合・デモクラシー)⇒戦争違法化
⇒自衛・制裁戦争は義務⇒正義の戦争

5 世界の現状認識と未来への方法論の提示
①現実は1つでない。
②現状認識
「戦争をできる態勢をまつか」=「武力による平和」 日米安保条約 安保法制
「軍事力に頼らず平和的手段によって安定を図るか」=「武力によらない平和か」9条
③自衛隊は軍隊か?【戦力と自衛力は違う】【専守防衛】【軍法会議の有無】【憲法は規範】
④改憲論に対して、具体的方法を提示する。
1 【原理的・合理的判断】
2 【平和的手段】
3 【信仰に基づく平和の必要性】

6 金光大神の平和観と金光教人としての生き方

○「信心の根本」 殺す⇒生かす 「犬猫までも敵をこしらえるな」
     「心で人を殺すのが重大な罪」

○金光大神の信心に基づく「平和の論理」
◇「戦争の論理⇒人を守るために命をかける⇒殺させるから殺す」
◇「平和の論理⇒人を助けるために命をかける⇒殺さない、殺されない、殺させない」

○「命を大切にする」視点⇒「生き方、生き道」としての視点

○「人を助けて神にならせて頂く」道
=自分のために他を利用するものでもなく、他のために自分を犠牲にするのでもない。 

○命のおかげ・物のおかげ・事柄のおかげ⇒道のおかげへ
「本然のいのちが承服する」生き方

○平和に対する金光大神の信心の立場、立ち処

○目指すべき平和

□「戦後金光教団の再出発として」
1 二度と武器を持たない。
2 二度と戦争に協力しない。
3 一人ひとりの生活を通してご神願成就。

□「世界真の平和」
1 遠くにある理想や目的ではなく、人間生活の前提であり、手段である。と同時に平和は希有なるものであり、深く感謝しつつ、時々刻々と創り上げていくものである。

2 ある特定の人や集団の平和ではなく、天地全体とすべての一人ひとりの平和である。

3 表層的に平和を唱えるのではなく、私たち人間の心の奥に巣くう暴力性を自覚し、常に自らを正当化しようとする無礼を詫び、改まり、他者の痛みをわが痛みと感じつつ願い、行動するところにある。

非戦平和学習会発題概要

1 はじめに
■宗教の社会性、公共性

 信心の問題はあくまで個の問題、心の内面の問題であるから、政治や社会の問題にはかかわらないとする傾向がある。もちろん個の自覚の問題であることは間違いないが、その個というのは単なる個体ではなくて、歴史的・社会的に繋がっている個である。まさに人ではなくて人間であり、私という自己も金光教団も政治的・社会的構造の中に組み込まれての社会的存在である。その個の自覚に立つならば、原発や安保法制の問題は現代における人間の問題であり、それに対して使命的にかかわっていくというのが金光大神の信心に生きる者の道である。

2 羅針盤(金光大神の信心)を持つ 真の平和へという方向性を指し示すもの
① 関心を持つ (無関心と思い込みが一番の問題)
② 今の論理で過去を切らない。
③ 立ち処を確認する。

①キング牧師の言葉に「この変革の時代において、もっとも悲劇的であったのは、悪人たちの辛辣な言葉や暴力でなく、善人たちの恐ろしいまでの沈黙と無関心であった」とある。私たちは「無関心でいられても、無関係ではいられない」存在であることを自覚する必要がある。 

 また、思い込み 先入観をできるだけとる努力が必要である。
 例えば、「戦争」と「平和」といっても思い込みがあるのではないか。戦争は悪であり、悲惨であり、絶対にしてはならないものであるが、戦争は純然たる悪意のみで生じるものではない。むしろ、同胞愛や家族愛、希望や正義感といった善意から生まれることもまた本質。平和もよい面ばかりでしなくて悪い、負の面もある。平和は安寧・安心、豊かさを保障するが、しかし、豊かになると大切なものを忘れてしまう。また、「まあまあ、この辺で」と衝突を避け、仲良し倶楽部」になってしまい、臭い物は蓋をして見て見ぬふりをし、現実にある差別構造を容認してしまうということにもなりかねない。

 さらに言葉でも、例えば「目には目を 歯には歯を」は何でもやっていいという印象があるが、同害復讐までで 倍返しにならないようにする一つの規範である。安倍総理のいう「積極的平和主義」も平和主義は、平和を平和的に構築する、つまり非暴力で作ることを目指しているのが平和主義と非平和主義を分ける条件であり、とても平和主義と呼べる言葉ではない。

 もう一つ、社会性と無関心にかかわって、よく「個人や本教みたいな小さな教団が何を言ったって世の中変わらん」という人がいる。しかし、あなたが何をしようがしまいが、世の中は変わる、それも望んでいない方向へと。結果の無関心は必ずより悪い社会へと変化する。1人ひとりが無力でも声をあげる、発言することは非常に大事なことである。 

② 今の論理で過去を切らない。
 今の論理で過去を切るというのではなく、その当時、その時代の人の味わった苛酷な状況にわが身をひたして、自分だったらどうすると考えることが大切。単に「戦争はいやだ」という感情的レベルや「かわいそうにねぇ」と感傷的なレベルにとどまってはいけないし、できあいの反戦・平和、戦争反対というスローガンやうわべの言葉だけではダメ。

③ 立ち処を確認する。 
◇向かうべき方向性を指し示すには、まずは立っている場所を知らなければならない。
方向性=羅針盤 向かうべき方向性を知るためには立ち所の確認。地図がいる。現代社会の現実と金光大神の信心からよく見ていくということが必要。 

 世界中の「世論」が、戦争に向かって熱狂し、正気を失って走り出した時、踏みとどまって、世界が凶器に陥っており、自分こそが正気であると言えるために、私たちは自分自身の立ち所、位置を正確に知る羅針盤を持たなくてはいけない。その羅針盤が「金光大神の信心」である。

 方向性については、戦後50年に教団が発行した『戦争と平和』戦後50年を迎えて78頁
「本教は、正しい戦争というものはありえないとの認識に立って、紛争を解決する手段としては、いかなる武力も、暴力行為も否定する立場を明確にしていかなければならない」
と明確に示しているところである。

(つづく)