Home > 9月 17th, 2015

非戦平和学習会発題概要 2

3 戦争(戦後)責任について
 よく、戦後世代に戦争責任がないといわれる。このたびの安倍談話でもどうも未来にまで負わせたくないような内容があったが、責任には次の二点がある。
A「罪・過ちに近い責任」→「否応なしの責任」法律的道義的責任、本人の自覚は関係ない」
B 「義務・任務に近い責任」→「自分で選び取る責任」戦後世代が負う責任
 私たち戦後世代には直接戦争責任はない。しかし、繰り返さない責任はある。自覚的主体的に負っていく責任であり、この繰り返さないため一点に集中して歴史や現状を勉強する必要がある。

4 戦争観の変遷 
 聖戦論⇒正戦論(戦争の規制)⇒非戦論(経済的統合・デモクラシー)⇒戦争違法化
⇒自衛・制裁戦争は義務⇒正義の戦争

 これも私が完全に思い込んでいた一つであるが、正戦論は戦争をしてもいいと正当化する論理ではなくて、戦争をなるべくしない、あるいはしても悲惨にならないために不正な戦争と正義の戦争に分けて戦争を規制しようとした論である。聖戦論という際限のない宗教戦争を受けて、古代末期に現れた戦争限定主義。これが永遠と現代に続いている。

 この正戦論でいう戦争の正しい理由は、「攻撃に対する防衛、攻撃者に対する処罰、攻撃者によって不正に奪われた財産の回復」であり、今でいう自衛と制裁の戦争である。しかし、その正しいか不正かを誰が判断するのか。結局強い方が正義となる。これは、「自分の戦争は正義であり、相手の戦争は不正である」、「自分たちは正しい。相手が間違っている、悪いのは奴らだ」という論理となり、自分たちを守るためにやむなく戦うという「自衛の論理」となり、殺し殺されるという「戦争の論理」へと繋がる。

 その後、近代に入って二つの非戦論が現れる。一つは経済的統合で相互依存が進めば、戦争は割に合わないからしなくなる。正しい、間違っているの善悪で見るのではなく、合理的な考えだ。二つは「王様は自分が死なないから戦争をするのだ。市民が責任を負う政府ができたら戦争しない」。民主化すれば戦争にならないと。

 ところが今度は、自分たちの国は自分たちで守る。相手が仕掛けてきたのだから自衛のために戦う。またぞろ、「自分たちは正しい、悪いのは奴らだ」との論理で戦争になる。しかし、第一次世界大戦で、武器、兵器の発達によってとんでもない数の犠牲者を出したことにより、さらに非戦論が強化され、「全ての戦争は不正であるから万国は戦争を放棄すべき」と初めて戦争が違法化される。この武力不行使原則が、国際連盟規約→パリ不戦条約→国連憲章→憲法9条と繋がっているのだ。

 しかし、ならず者国家やテロに対してどう対処するのだということで集団安全保障(第42条)という制裁の武力行使と集団的自衛権(第51条)という自衛の武力行使が例外的に認められた。戦争を武力行使と言い変わっただけで、「自分たちは正しい、悪いのは奴らだ」との戦争へと繋がる論理が永遠と続いてきている。

5 世界の現状認識と未来への方法論の提示
①現実は1つでない。
1 世界は軍事的均衡によって保たれ、緊張・対立してるのが現実。
2 戦争違法化への歩みという現実。

 残念ながら人類は戦争の論理を乗り越えられてはいないのも現実であるが、二度にわたる大戦の経験を経て、国際社会がむき出しの暴力の世界にならないよう数々の法学者、政治家、外交官が悩み苦しみ、努力に努力を重ねて「武力によらない平和」を求めてきたのも現実である。この武力不行使原則は、数々の悲劇的戦争から人類が地道に築いてきた非常に貴重な財産であることは、世界の多くの人々の支持を得ている。

②現状認識
「戦争をできる態勢をまつか」=「武力による平和」 日米安保条約・安保法制
「軍事力に頼らず平和的手段によって安定を図るか」=「武力によらない平和か」9条

 この現在の状況をどう認識するか。二点提示したい。一つは 世界は「武力による平和」から「武力によらない平和」を目指し、日本の憲法9条は国連憲章よりさらに「武力によらない平和」を目指しているにもかかわらず、現日本政府の政策は、憲法9条の縛りを緩和して集団的自衛権や集団安全保障による武力行使を可能にしようとしている。ある意味日本国憲法を国連憲章へと逆行させようとしている。 

 二つは国際社会の問題。国連憲章という国際法である法律があるにもかかわらず、現実は強い者が正義であり、突出した軍事力を誇るアメリカが正義。その正義は「自由と民主主義」であるが、問題は民主主義ではなくてその押しつけ。アメリカの軍事介入は第二次大戦後200回以上もあるのである。

③自衛隊は軍隊か?
【戦力と自衛力は違う】【専守防衛】【軍法会議の有無】【憲法は法律・規範】

 ここで9条問題の核心である自衛隊について少し触れておきたい。最近良心的保守といわれている一部の意見に、「集団的自衛権は違憲と認めよう。そうであるならば自衛隊も違憲であるから、憲法を改正して行使できるようにすべきだ」と。

 これは現実に憲法を合わすことになるが、少し考えればおかしい。憲法は規範である。現実に憲法を合わすというのなら、世の中には殺人事件はなくならないし、差別もあるから殺人罪も平等原則も取っ払うのかとなる。現実を憲法に合わしていくのが本当であろう。行く行くは自衛隊を非武装の災害救助隊にすべきと考える。そのような社会構築が向かうべき方向である。自衛隊を軍隊にするのではなくて、世界の軍隊を自衛隊化すべきなのだ。(つづく)