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第36回 沖縄遺骨収集奉仕参加 完 2009年1月

 実は、沖縄陸軍病院 南風原壕群20号には、南風原文化センター(残念ながら今回は改装中で休み)とともに2004年の沖縄遺骨収集時に東京から参加した数名で訪れたことがある。迷いに迷よってようやくたどり着くと、「沖縄陸軍病院跡」と朽ちた看板が無造作に置かれており、ショックを受けたことがあった。

 それは今日ある整備のための工事中だったためと思われ、少しほっとしたが、この場所も大変な悲劇の場所である。陸軍病院といっても、日本陸軍が最初に沖縄守備軍司令部を置いた首里を放棄して南下、この地域一帯の自然壕に急遽司令部や病院を置いたのだ。

 このたび整備され綺麗になり、ガイドさんの説明付きで誰でも見学できるようになったのはいいが、その分ここで何があったのかという事実について想像しにくくなっているかも知れない。しかし懐中電灯を消したときは、さすがに当時の辛苦がどれほどのものであったかが思われた。

 当時、軍医は数名。看護士として動員されたのが「ひめゆり学徒隊」の女学生たちである。もちろん看護士の資格などはない。このひめゆり学徒隊については映画も数本作られており、ぜひとも見てから見学に行っていただきたい。

 10年ほど前に子どもたちにも見せたことがある。兄妹ともいまだに忘れられないシーンが、この病院壕に負傷して運び込まれた軍人が、学徒隊女性の制止を振り切って、自分の小便を飲んでしまうところだ。無惨である。

 さて、カーナビのおかげやだいぶ地理に明るくなってきたこともあって、移動の時間がスムーズ。だいたい予定していたころとはすべて回れたが、まだ時間があるのでレンタカー屋さんに近い海軍壕司令部(旧海軍司令部壕) に向かった。

 この壕は先程の陸軍病院壕や住民が仕方なく逃げ入った自然壕と違って、工兵隊等プロが入って作られたのであろう、壁も塗られしっかりとした作りになっている。沖縄のほかの壕群に比べれば相当に広い。しかし、この壕に何千人もの海軍将兵が傷つき、死んで行ったことを想像すると言葉もない。

 その後、暖かくなった外の展望台になっているところで少し休憩していると、東北弁ばりばりの65歳から70歳くらいの集団がやってきた。大きな声で騒がしい。そして「ここは何?」、「え、わからん」、「海軍の壕みたいよ」、「見なくていいよ、次行こ」である。いったい何のためにこの高台まできたのか。

 最後の最後にきてがっかりではあるが、これも日本の風景、まあ、「平和で何より」と思い直し、空港へと向かった。この一件で逆に、沖縄で何があったのか、今現在どうなっているか、微力ながらますます伝えるきっかけを作って行かなければと強く思ったようなことである。(終わり)

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