再び、なぜ沖縄へ! 1
私は、沖縄遺骨収集目的の第一義は、いまだにご遺骨が山野に埋もれ、風雨にさらされ、あるいは岩石に押しつぶされている痛ましい事実を知り、そのご無礼にお詫び申し上げ、少しでも多くのご遺骨を収集、納めさせていだき、慰霊の誠を尽くすことにあると思う。
そして、ひとりでも多くの若者に参加していただきたいのは、「本当の戦争を知ってほしい」、その一点である。これがいかに難しいか。しかし、だからこそ、難しいからこそ、取り組まなければならないと思うのである。
今から20数年前、まだソビエト連邦が存在していた頃のことである。当時「日本と戦争をしていたのはソ連だ」と思いこんでいた女子高校生が少なからずいたことにショックを受けたことがあった。ところが今や日本が戦争をしたことさえ知らないという若者が増えているのだ。
以前当HPふれた 『平和は「退屈」ですか―元ひめゆり学徒と若者たちの500日)』との本で知ったことだが、元ひめゆり学徒隊の方の言でさえ、それを聞いた女子高校生が「言葉が心に届かない」と言ったほど、戦争体験を伝えることは至難の業である。
しかし、難しいから無理と諦めるか。至難の業であるからこそ伝えようと努力するか。その努力の仕方に工夫がいると思う。「戦争体験を語り継ぐ」では、戦争を体験してない私のようなものは端から撤退しなければならない。いくら戦争を悲惨だと言葉を尽くしても体験者の言葉でさえ伝わらないときに、さてどうするかが問われるのである。(つづく)
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