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第30回 沖縄遺骨収集奉仕参加 2 2003年2月

 2月14日、私の誕生日でもあるこの日に赤羽教会の真美ちゃんと公ちゃんと一緒に沖縄に入った。空港でレンタカーを借り、この日はすでに夜になっており那覇教会にお世話になった。公ちゃんのお母様手作りの沖縄料理をいただいた。これがもうどれも絶品で、特にピーナッツ豆腐は本当に美味しかった。そして、林教会長先生からいろいろとお話を賜った。例の黒アゲハチョウのこともこのとき聞かせていただいた。

 そして15日早朝、レンタカーで林先生はじめ数人の信者さんと一緒に沖縄本島最南端の「摩文仁の丘」に向かった。途中、「南風原」の地名標識が見えた。あのひめゆり学徒隊が奉仕していた南風原陸軍病院があったところだ。そしてだんだんと町並みをはずれ、さとうきび畑を両側に見ながら走る。

 あるところで大きく右に曲がるとき、林先生がここは「山川」と言って、南に逃げてきた県民の生死を分けた道だと教えていただいた。このことについては、また後日ふれたい。

 やがて摩文仁の丘の西端にあるおみやげやさんの駐車場に入ると、すでに全国から集まってきた人たちが集い、そして一般の参加者やアメリカ人の参加者が続々と集まってくる。昨年で組織的な活動は終了したと聞いていたので、総勢80数名という数にまず驚いた。しかし、やはりそれでも少ないそうで全盛期は200人以上も参加されたそうだ。そしてこのおみやげやさんは、ここまで30年間お世話になってきたという。そうした協力者がいてここまで続いてきたのだ思った。そして万事に仲介され、諸般のことをお世話された林先生のご苦労は並々ならぬものであったろう。

 メンバーの中には、布教部時代以来会うことができたTI先生や知っている先生がおり、「何せ今頃のこのこやってきた新参門ですので、どうぞご指導のほどを」と挨拶して回った。私はもうこの時点で相当緊張していた。  (つづく)  

 

第30回 沖縄遺骨収集奉仕参加 1 2003年2月

 先日のテレビドラマ「さとうきび畑の唄」は、私はここ3年連続縁あって沖縄に行く機会があり、特に今年の2月には沖縄遺骨収集に参加したこともあって、皮膚感覚として平和の大切さが染み入った。

 その体験の一部の感想は『金光新聞』4月6日号に書いた。当ホームページにも掲載しているが、その他にも色々な体験をした。その時の体験がこのホームページ立ち上げの動機でもある。私の中に何かが入って、突き動かされているのではないかとの不思議な感覚もある。

 戦後60年余もの時間が経つと実際の体験者は少なくなり、戦争体験が風化するのはいたしかたない。しかし、だからこそ1人ひとりの体験を聞き、それをさらに次世代に伝え、われわれの戦争の記憶として文字として永遠に遺していく必要を痛感する。

 そこで、今日からしばらく私の沖縄体験を記したい。遺骨収集への参加は、平和協議会のメンバーでもある寺本公子氏の「机上の空論で言っているだけではだめ」との1言から始まった。そして急遽参加することになり、公子氏の実家の那覇教会にお世話になった。(つづく)

No.82

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