第30回 沖縄遺骨収集奉仕参加 3 2003年2月
沖縄の気候は2月というのに最高気温は22度、最低気温が19度。暑がり、寒がりの私には本当にありがたい。ただ、知ってる人は知ってると思うが、私と公ちゃんコンビはふたりで動くとなぜかもう大雨、大雪、大嵐、大雷と最悪のお天気のご都合を何回も頂いている。この日も雨がぽつりぽつり降り始めた。ああやっぱりかと思ったが、何か不思議な力がうごめいているのか、この2日間、遺骨収集に入る前と後は雨が降るのに、収集作業中は見事にお天気のおかげを頂いた。
おみやげやさんの敷地内にテントが張られ本部が置かれる。5班にわかれていよいよ現場へ出発、私は公ちゃんや真美ちゃんとは違う班で、公園側の丘の上にある自然壕に向かった。ふた通りの行き方があるらしいが、私は海側の断崖の上を降りたり、上がったりする歩くコースを選んだ。
途中、○○航空隊少年飛行兵の慰霊塔や○○師団○○部隊の慰霊碑などが数多く立っており、重苦しい雰囲気だ。最初は地理感覚がなくて気がつかなかったが沖縄守備隊の最高責任者であった牛島満中将が自決した自然壕も通った。このことはまた後日ふれたい。
小1時間ほど歩いて現場の自然壕についた。きれいに整備された福島県慰霊碑の裏に入り、すぐのところに自然壕がある。7、8メートルも下に潜る。それも途中は人間が1人通るのがやっとの通路だ。そこに入って作業をする。先発隊は昨日から作業を始めており、金光新聞から取材にきていた女性も中に入ったそうだ。TI先生が「辻井くん、女の子も入ったんだから入る」と言われたが遠慮した。空気も薄く、汚れるので2、30分で交代するということで、まずは上でご遺骨や遺品、石ころ、土などを引き上げる役になった。
1班は7、8人だったと思うが、壕の中には4人しか入れない。外で引き上げる役をしていたら、上にいた数人がどこか他の班に手伝いに行ってしまい、外では1人になってしまった。壕の中に入った人の声は当然聞こえず、もしかしてガスが発生して気を失っているのではと、ものすごい不安におそわれた。 (つづく)