第31回 沖縄遺骨収集奉仕参加 1 2004年2月
皆様お元気でしたか?。無事けがもなく帰らせて頂きました。お祈り添え、誠にありがとうございました。今回も色々と体験させて頂きましたので、今日からしばらく連載の形で書かせて頂きます。昨年の体験記(2003.10.1~10.10に記載)で予告していたにもかかわらず触れてない沖縄戦の内容なども紹介できればと思ってます。
1 非業の殉職をとげた島田叡県知事をおう。
2004.2.14.15と、沖縄県糸満市における31回目の遺骨収集活動に参加した。今年も完全ご遺体が2体と、多くの骨片が収集された。運営委員会が解散され、自主参加となって2回目であるが、四国山城教会の赤レンジャー隊や大阪グループ、そして全国から一騎当千の老若男女の強者約80人が集まった。
東京からは、国セ、東セ、東京寮有志等8人とその他6人の計12人が参加した。その内東セと東京寮関係の6人は、沖縄で何があったのかを知るために、朝1の飛行機で沖縄に入った。そして、ひめゆりの塔、資料館、沖縄県立平和祈念資料館、平和の礎を回り、前もって勉強をしてから14日の本番に備えた。
そして当日、私たち6人は2班に配属され、沖縄戦当時県知事であり、最後が全く不明の島田叡さんを探すこととなった。島田県知事は、太平洋戦争の終局で戦場となることが確実視された沖縄の知事に任じらた。そして着任後、老幼婦女子の疎開や県民の食糧確保に奔走し、戦況の悪化で危険な台湾に自ら赴いて台湾米確保の折衝を行うなど、終始県民の犠牲を少なくするために心を砕き、戦闘が始まった後も非武装でもって最後まで県民を守り続けた。そして言い伝えによると、私たち沖縄遺骨収集団が本部をおいている摩文仁の丘あたりで殉職したとされている。
しかし、最近この摩文仁の東隣の具志頭村で、1人が入れるような穴に座り、「私は沖縄県知事です」と答えたという証言が出、わが2班はこの具志頭村の海岸側から頭上に見える直下に落ちる岸壁の下あたりを目指して、密林の中に果敢に入っていったのである。(つづく)
No.245