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第31回 沖縄遺骨収集奉仕参加 2 2004年2月

2 恐怖の迷走 戦争追体験

 さて、海岸から遊歩道を30メートルほど登り、そこから歩道をはずれ真横に密林の中に入った。数十メートル進むともう何人かは見えなくなった。班長のY氏も先に進んだようでいない。残った7人は大石の袂や岸壁の上で人が隠れそうなところを掘ったが何も出てこなかった。

 あるベテランの方の指示で、移動して壕を探すことにした。そしていなくなった班長や寮生の男2人の名前を呼ぶがいない。仕方なく7人で先に進んだ。しかし、これがいけなかった。まずは、西の方に進むがなかなか進めない。背の高い木や太い根っこが地上にせり出しているところなどは進むに進むない。視界がきかないし、聞こえるのは波の音だけだ。

 勝手に行動するとすぐにも7人の集団からはぐれそうになるので、勝手な行動ができない。先頭を歩く方の勘に頼り、ぞろぞろとついて行く。上に上にあがれば頂上ないしは遊歩道に出ると、上を目指してひたすら歩くがこれも埒があかない。とうとう上にも進めなくなって、来た道をひたすら戻るか、無理にでも西に迎うか、大勢は西に向かうと判断し、ゆっくりゆっくりと西に向かった。携帯は全く通じない。

 もう、2時間も歩いたであろう。その時がさがさと音がし、黄色いヘルメットが見えた。声をかけると何と全く反対側から入っていた地元沖縄の方が多い5班のSさんだった。Sさんは1人でご遺骨がありそうなところを探索されていたらしい。我々は海に出るだいたいの方向を聞いて安心し、もう12時もまわっていたのでそこでお弁当を頂くことにした。そこでようやくはぐれた2班の別動隊と携帯がつながった。
 
 一時はどうなるかと思ったが、これは戦時中逃げられた方々の追体験をさせてもらっていると思った。もちろん今は敵もいないし、昼間の明るい気候のいいときである。真夏のそれも梅雨時の沖縄、そこにもってきて艦砲射撃や敵兵の銃撃を受けつつ逃げるのでは私たちと雲泥の差ではあるが、その少しでも恐怖の追体験ができたことである。(つづく)